はいみなさんこんにちは。
今日は、中国の音楽の歴史について解説していこうと思います。
中国では、古代から唐の時代にかけては歌舞が中心だったのに対し、
宋の時代以降は劇音楽と語り物音楽に重点が移っていきました。
太古・夏・商時代
古代、楽器とともに登場したのが原始楽舞でした。当時の仕事(主に農業)の動作は、
かけ声や道具から出る音と結びつき、しばしば楽舞のひな形となりました。
社会の生産形態が進んでいきますと、豊年祈願の楽舞「葛天(かつてん)氏之楽」や、
干ばつを追い払う雨ごいの楽舞「牛襄氏之楽」などが現れました。
また、商の時代には青銅製の楽器が大量に鋳造され、
簡単な旋律も演奏できる鐘(しょう)などが現れました。
西周、春秋戦国時代
周の時代から古代奴隷制度が本格的に発展し、朝廷は音楽を重視した民謡採集の官職も定めました。
周の時代の音楽には、礼楽制度が確立されました。
周の朝廷は、礼と楽の社会への影響を重んじました。
「礼」は人間の貴賤の別を明らかにし、「楽」は互いを和睦させます。
その礼と楽の作用を併せれば社会の安定を保てる、としたのです。
これが当時の統治者の礼楽観でした。
秦・漢・魏晋南北朝時代
漢の時代の歌舞伎楽は百戯(ひゃくぎ)と呼ばれ、中国演劇の基礎となりました。
南北朝の時代、シルクロードは中国と外部世界を結ぶ重要なルートとなりました。
古代インドやペルシャの音楽も、中国に入りました。
こうした外来音楽は、中国固有の音楽と結合し、隋の時代に基礎が出来上がりました。
魏晋時代には、老荘思想の信奉者たちが、音楽思想についても意見を唱え始めました。
「竹林の七賢」の一人、けい康(けいこう)の記した『声無哀楽論』によれば、
音楽の音響に触れると、人間に内在する哀楽の感情が喚起される、とあります。
このような老荘思想による音楽の考え方は、
中国の音楽思想史において二大潮流(もう一つは音楽と政治を結びつけた儒家の思想)の一派となりました。
隋・唐・五代時代
隋・唐の時代の音楽は、宮廷音楽と民間音楽に二分できます。
隋・唐時代の宮廷音楽は、燕楽(えんがく)とも称します。
「秦王破陣楽(しんのうはじんがく)」や「梁州大曲」などの作品があります。
執筆者:山本和華子
もっと詳しく知りたい方は、コチラの本がオススメです。
ツイッター(@wakako_kyoto)もやっています。よかったらフォローしてね♪