中国の美術史の魅力と特徴を見てみよう

中国最初の王朝は「夏」だと言われています。その夏王朝の後に殷王朝が起こりました。殷は、お祭りごとと政治は一つのものとみなされていました。その殷では、王が祭祀で使う甲骨文字が書かれた亀甲や獣骨、青銅器の祭器を作っていました。これが中国美術の始まりだとされています。

その後、が起こり、それが滅びるとが起こりました。秦の時代を代表する美術としては、秦の始皇帝のお墓に副葬された約8000体の「兵馬俑(へいばよう)」に代表される陶磁器だと言われています。

秦とその後の漢の時代には、絹の布に描かれた絵画である帛画(はくが)や、漆絵・壁画などが出土によって多くの存在が認められています。

また、秦・漢時代の美術品の中でも、特に素晴らしいものとして挙げられるのは、墳墓から出土した「馬踏飛燕(飛燕をしのぐ馬)」です。

漢が衰退し始めると、各地で反乱が勃発します。

それが三国志で知られる、魏、呉、蜀です。3~6世紀の間、中国は「魏晋南北朝時代」に入ります。
この時代は、「三国時代(魏・呉・蜀)」「西晋」「五胡十六と東晋」「南北朝時代」の4つに分けられます。

魏から西晋にかけて、政治・文化を担ったのは貴族階級でした。

その代表的な貴族を、「竹林の七賢」といいます。彼らは竹林に集まって酒を飲んだり楽器(主に箏)を奏でたりしながら、気ままに暮らしたそうです。彼らの生活は、以後の六朝の文化人の理想となります。私もそんな生活がしたいです!

魏晋南北朝時代を代表する文化の担い手は、呉、東晋、宋、斉、梁、陳の六王朝です。呉は呉服の呉ですね。六朝では貴族文化が続き、漢文化を発展させました。これを、六朝文化と言います。文学では陶淵明(とうえんめい)が登場し、絵画では顧愷之(こがいし)、書道においては王羲之(おうぎし)が活躍します。

589年、楊堅(文帝)が中国を統一します。彼は、中央集権化を進め、科挙を採用しました。しかし、文帝に次いで皇帝となった子の煬帝(ようだい)の政治に、民衆は反乱を起こしました。それで隋が倒れてが起こりました。

唐は7世紀から10世紀まで、周辺諸地域にも及ぶ世界帝国となりました。どの礎を築いたのは、二代目皇帝の李世民(太宗)です。太宗の時代は安定した政治体制が整いました。

この時代は、国際性豊かな文化が発展しました。ササン朝ペルシャ、ビザンツ帝国やイスラームとの接触、シルクロード交易が行われました。めちゃくちゃ豪華絢爛ですね。ただし、イスラーム黄金期は13世紀なので、もう少し後の時代になりますね。

の時代には、様々な文化人が活躍します。文学の分野では王維、李白、杜甫、白居易(白楽天)などが登場します。この頃、玄奘(げんじょう)は、インドから仏典を持ち帰り、「大唐西域記」を記しました。絵画の分野では、呉道玄(ごどうげん)、李思訓(りしくん)が有名です。書家では顔真卿(がんしんけい)、虞世南(ぐせいなん)、欧陽詢(おうようじゅん)、褚遂良(ちょすいりょう)が活躍しました。

唐の時代は、中国絵画の変革期と言えます。それまで主流だった彩色画・人物画・花鳥画から、自然の風景を幽玄に表現する山水画・水墨画へと移り変わっていきます。

唐の時代も永遠は続きません。玄宗の妻である楊貴妃の一族・楊氏が実権を握ったため、それに不満を唱える節度使・安禄山(あんろくざん)が「安史の乱」を起こしました。そして907年、唐は滅亡しました。これ以降、宋の中国統一までの分裂期を「五代十国」と言います。

五代十国の争乱を制したのは、趙匡胤(ちょうきょういん)いう人物です。彼は皇帝(太祖)に即位してを建国しました。

美術分野では、北宋皇帝の徽宗(きそう)、南宋の夏珪(かけい)、馬遠(ばえん)などによる色鮮やかで写実的な院対画(いんたいが)、そして士大夫(したいふ)らが余技として好んで描いた水墨画の文人画(ぶんじんが)の2流派が現れます。文人画では、北宋の蘇軾(そしょく、詩人としても有名ですね)、李公麟(りこうりん)米芾(べいふつ、書家としても有名です)、南宋の梁楷(りょうかい)、牧谿(もっけい)らが知られています。豪華絢爛ですね。

徽宗は、北宋最高の芸術家と言われています。作品「桃鳩図(ももはとず)」は日本の国宝となっています。

また牧谿は、禅僧でもありました。彼の作品である「観音猿鶴図(かんのんえんかくず)」「煙寺晩鐘図(えんじばんしょうず)」「漁村夕照図(ぎょそんせきしょうず)」は日本の国宝に指定されています。

この時代、陶磁器も目覚ましい発展を遂げました。各地の窯では青磁・白磁を中心に、壺や花瓶などの焼きものが作られました。特にヨーロッパでは「陶磁器=チャイナ」と呼ばれ、上流階級を中心に広まっていきました。

平清盛によって開始された日宋貿易では、青磁・白磁などの陶磁器類が大量に輸入されると、当時の上流階級である貴族・寺院などは、中国陶磁を唐物(からもの)として珍重し、要求するようになりました。

13世紀初頭、チンギス=ハンがモンゴル帝国を建国しました。その時代を(げん)と言います。
その時代の文化人としては、趙孟頫(ちょうもうふ)が有名です。彼は、詩文・音楽・書画など、マルチに活躍しました。

この時代は、戯曲や小説が発達し、民間に根付きました。特に有名なものに「元曲」があり、その中でも代表的なものに「西遊記」が挙げられます。これは日本でも有名ですね。

戯曲とは、英語でチャイニーズ・オペラと表現されるように、踊りや歌を交えて演じる舞台演劇のことを指します。本格的な戯曲が完成したのが元の時代と言われており、それは元曲と呼ばれ、漢文・唐詩・宋詩に並ぶ中国の代表文学と位置付けられています。

その後、(みん)が起こります。明代は朱子学を官学としますが、中期には朱子学を批判する形で陽明学が起こりました。陽明学は、知識と実践の統一を説きました。

絵画の分野では、明の末期に登場した董其昌(とうきしょう)が有名です。

陶芸では、宣徳(せんとく)年間の「染付(そめつけ)」、万歴窯(ばんれきがま)で焼かれた「万歴赤絵」などは、今でも世界で愛好されています。なお、万歴とは、万歴年間(1573~1619年)のことです。赤絵とは、赤だけでなく、青、黄、緑なども配しています。

いかがでしたでしょうか。中国の美術史は、本当に長い歴史を持ち、また、魅力あふれるものです。中国の美術史の特徴は、絵画だけでなく、焼き物や書道など、多岐にわたります。

お茶席にも唐物といって、中国から渡来したものが使われることもあります。

あなたも、中国の美術に触れてみてはいかがですか?

執筆者:山本和華子

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