以前、私は『アジアの民族文化』という本を出版しました。
アジア圏やイスラム圏では、「芸術」というとガラスの水差しや陶磁器、書道作品など、多岐にわたります。
日本国内を見ても、「芸術」といえば襖絵もあれば茶碗をはじめとした茶道具があります。
しかし、西欧圏を見渡すと、様子が異なります。
ヨーロッパのアートというと、「キャンバスに油絵具で描くもの」が大半であることに気付きます。
なぜこのように、「アート」の概念が地域によって差異があるのでしょうか。
紐解いていきましょう。
古代から中世にかけては、ヨーロッパにおいても芸術と工芸に区別はなかった
ギリシャ・ローマ時代に存在したテクネー(techne)という単語は、技術・技法・芸術を意味する言葉でした。
中世ヨーロッパでは芸術も工芸も、教会や貴族の依頼による職人(ギルド)仕事でした。

教会建築のステンドグラス、祭壇画、装飾写本、金工細工はすべて、信仰のための実用的・装飾的な制作物でした。
つまり、この時代の芸術家というのは、熟練職人という認識でした。

ルネサンス時代 芸術家の自我と「アート」の独立
ルネサンス期、「職人」ではなく「個人」としての芸術家が誕生します。
この頃から、「アートは精神の表現である」という自覚が強まります。
時代はルネサンスではなく「ウィーン古典派」ですが、クラシック音楽界ではベートーヴェンの功績により、
作曲家が職人から芸術家に昇華されたというお話を聞いたことがあります。
作曲家が職人ではある場合、パトロンの要望に応え続けなければならなかったのが、
独立した芸術家としての作曲家であれば、「自分が表現したい音楽を作っていくことが出来る」ように
なった、という逸話があるのですが、そのお話と繋がる部分も、もしかしたらあるのかもしれません。
近代 芸術の神聖化と工芸の周縁化
フランスやイギリスで「美術アカデミー」が設立され、絵画、彫刻、建築が正統な芸術だとみなされました。
「芸術」と「工芸」の違いは、最初から普遍的な分類ではなく、社会背景と歴史が作り出した後天的な価値観に過ぎないのです。

なぜ「ファイン・アート」というジャンルがつくられたのだろうか?
「ファイン・アート」とは、精神性や美的感性のために作られる芸術を指します。
ヨーロッパにおいてファイン・アートというジャンルが作られた理由の一つに、
芸術家が「職人」から「知的教養を持つ個人」へと地位向上を求めたため、が挙げられます。
ルネサンス期の芸術家たちは、画家を、詩人や哲学者たちと同じように「知的な創造者」として位置づけるようになりました。
また、社会的ヒエラルキーの中で「教養・権威・品位」を示す手段として、「ファイン・アート」という概念が捻出されました。
17~18世紀、絶対王政から啓蒙時代にかけて、王侯貴族や富裕層が自らの教義・権力・品格を示すために、
「高尚な芸術」を愛好することを社会的ステータスとしました。
確かに、西洋美術史を紐解けば、なんだか仰々しいお偉いさんの肖像画や、
ナポレオンが馬に乗ってなんかイケメン風に描かれている絵画(正式名称は「サン=ベルナール峠を越えるボナパルト」)など、
「オレ凄い奴」を誇示するためにアートが利用されてきた社会背景があったんだろうと推測できますね。

そして、芸術アカデミーの設立と教育制度の影響によって、「正統な芸術とはこうである」と定義することで、
芸術にヒエラルキーを作ったのでした。
「言葉」というのはそもそも、混沌とした世界を「分けていく」道具です。
世界を描写したり分けていったりしていくことで、私たち人類は物質的な豊かさや、
心の豊かさを享受してきました。
しかし、まれに、「芸術」と「工芸」など、「敢えて厳密に区別しない方がいい概念」も
存在するのかなと思いました。
執筆者:山本和華子
【本を出版しました】

