インドの歴史 古代
インドの古代文明に、インダス文明とガンジス文明があります。
インダス文明は紀元前2600年頃からインダス川流域で栄えた文明です。
焼き煉瓦を用いて街路や用水路、浴場を整備した都市が築かれていました。しかし、紀元前2000年頃に衰退しました。
ちなみにこのインダス文明は、現在のインド南部に住むタミル人の祖先が築いたと言われています。
タミル人のドラヴィダ文化には、豊かな文学と芸術の伝統があります。
文学では、タミル語の古典的な詩やテルグ語の物語などがあります。
音楽には、カルナータカ音楽があります。
カルナータカ音楽は、ラーガ(旋律)とターラ(リズム)の組み合わせに基づいています。


紀元前1500年頃、インド・アーリア系の諸部族がインドの地に移住してきます。
紀元前1200年頃には遊牧生活から農耕生活へと移行していきました。
この頃に古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』が編纂されます。
紀元前317年頃には、マウリヤ朝マガダ国が建国されます。第3代アショーカ王の時代に支配域を拡大し、インド初の統一王朝が誕生します。
紀元後1世紀後半、クシャーナ朝がインダス川流域に進出します。
クシャーナ朝は中国とローマを結ぶ交通路の要地にあり、
仏教文化とギリシャ美術が融合した「ガンダーラ美術」を成立させるなど大いに栄えましたが、
3世紀にはササン朝ペルシャの遠征を受けて滅亡しました。

320年頃にチャンドラグプタ1世がグプタ朝を建国しました。この時代は「インド古典文化の黄金期」と言われ、インド二大叙事詩である『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』が編纂されました。
医学、天文学、数学なども発展し、「ゼロ」が発見されたのもこの頃だと言われています。

インドの歴史 近代
インド亜大陸に最初に到達したヨーロッパの国はポルトガルです。
1510年にはゴアに拠点を構え、東洋におけるキリスト教の布教と貿易を推進します。
その後、複数のヨーロッパの国がインドに進出します。
とくにイギリスの東インド会社はインドを支配し、
お茶、アヘン、インディゴなどのプランテーションを拡大させて貿易を独占しました。
イギリスはインドに対し、経済的にも支配していきます。
そんな中、インド国内ではイギリスに対する反感が高まっていきます。
1914年に勃発した第一次世界大戦では、インドは食料を始めとする軍事物資や戦費、兵力の供給元となり、財政状態が極度に悪化していきました。
そこでマハトマ・ガンディーは、「不服従運動」を展開します。
第二次世界大戦後のイギリスは、戦争に勝利したもののインドを植民地として統治する力は残っておらず、独立を求めることとなります。
インドの初代首相にはジャワハルラール・ネルーが就任します。冷戦時代にはどちらの陣営にも属さない「非同盟運動」を提唱し、インドの近代化に尽力しました。
2000年以降の経済的発展は目覚ましく、インドはブラジルやロシア、中国などとともに「BRICs」と呼ばれる国の一員となりました。

インドの産業・経済
インドでは、ダイヤモンドの原石を輸入し、研磨して宝石となったダイヤモンドを輸出している(加工貿易)ことで収益を上げています。
現在のインド経済を牽引しているのは、ICT(情報通信技術)産業です。
「インドのシリコンバレー」と呼ばれるバンガロールを中心に急成長しました。
その背景には、インドの初代首相ネルー氏が「頭脳立国」を目指したことが挙げられます。
ネルー氏はインド国内にインド工科大学を次々に作り、現在では23校あります。
インド工科大学の出身者に有名な人物が、グーグルのトップ、サンダー・ピチャイです。
インドでITが発達した理由に、カースト制と呼ばれるインドの階級制度があります。
カースト制度では、自分が生まれたときにもった名字で、ある程度職業が決まっています。
しかし、ITは最近できた職業なので、カースト制度に関わらず、誰でもチャレンジできる職業でした。
したがって、貧困から脱出したいと考える人たちが、IT分野での成功を目指して日々勉強しているのです。
インドの自動車産業も注目されています。インドの自動車の販売台数が、世界3位にりました。
インドのモディ政権が「メーク・イン・インディア」を掲げて製造業に振興し、自動車産業をその核として育成に努めてきました。
インドの乗用車販売市場のシェア1位はスズキで、約4割を占めている。
インド政府はスズキと合弁企業(現在のマルチ=スズキ)を設立することで、日本側は技術、インド側は販売についてのノウハウを互いに提供し合い、シェア1位を獲得しました。

インドの政治
インドは、29もの州などが集まった連邦国家です。各州には州政府があり、それぞれ州知事と州の首相がいます。
国会にあたる連邦議会は二院制を採用し、国民の直接選挙によって議員が選ばれる下院と、各州の議会議員を中心に構成される上院からなります。
インドには、民主主義の考え方が根付いています。
その理由として、ガンジーを筆頭に、独立時に民主主義を推し進めた卓越した政治家がいたからです。
インドは国家元首が大統領ですが、政治的には形式的な役割に留まり、実際に政治を動かすのは首相です。
現在(2025年)のインドの首相はモディ首相です。
現在のインドの与党であるインド人民党はヒンドゥー教を重視し、北部で根強い人気があります。
モディ首相は経済発展を実現させ、テクノロジーの発展にも尽力してきました。
たとえば銀行口座が持てなかった貧困層でも、スマホの生体認証でビジネスができるようにしたことが評価されています。
インドでは従来から、インド国民会議派とインド人民党の二大政党が勢力を争ってきました。
インド人民党はヒンドゥー教に基づいた国づくりをすべきだと主張している一方で、インド国民会議派は正教分離主義(セキュラリズム)を掲げています。
インドカースト最下層で、かつては不可触民と言われた「ダリト」の人たちを中心とする政党がいくつかあります。
ダリトの解放などを政策に掲げる大衆社会党などが国会に議席を持っています。
インドの郷土料理 ビリヤニ

ビリヤニは、インドやバングラデシュ、パキスタンなどで親しまれている、
スパイスとお肉をバスマティライスと一緒に炊き込んだ、インドの代表的な料理です。

インドの世界遺産 大チョーラ朝寺院群

大チョーラ朝寺院群は、南インドのタミル系のチョーラ朝が全盛期に建立した、3つのヒンドゥー教寺院です。
11世紀、ラージャラージャ1世は、ドラヴィダ様式のブリハディーシュワラ寺院を建てました。
大チョーラ朝寺院群は、チョーラ朝の歴史と南インドのタミルの文化を残し、当時の建築と芸術の発展を示しました。
タミル系の民族は南インドでサータヴァーハナ朝、チョーラ朝、パーンディヤ朝など、独自の文化を持つ国家を展開してきました。
カラフルで極彩色のヒンドゥー寺院は、ドラヴィダ文化の象徴の一つです。
インドの世界遺産 アジャンターの石窟寺院群

アジャンターの石窟寺院群は、インド最古の仏教壁画が残る仏教窟です。
この石窟群は仏教の衰退と共に次第に忘れ去られ、8世紀以降は廃墟となっていました。
しかし、1819年に、この地でトラ狩りをしていた英国駐留軍のジョン・スミスが、偶然にこの遺跡を発見しました。
石窟には、ストゥーパ(仏塔)を安置して礼拝する祠堂形式のチャイティヤ窟と、
僧侶たちが居住した僧房(そうぼう)形式のヴィハーラ窟があります。

インドの民族舞踊 バラタナーティヤム

この民族舞踊はもともと、寺院の儀式舞踊として、寺院直属の巫女が寺院や王侯貴族の宮廷で踊られていました。
12~13世紀のチョーラ王朝の時代に、この舞踊は全盛期を迎えました。
バラタナーティヤムの伴奏音楽は、南インドのカルナータカ音楽です。
執筆者:山本和華子
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写真提供 写真ac https://www.photo-ac.com
イラストは生成AIにて作成しました。


