出雲氏のロマン 古代出雲歴史博物館と荒神谷遺跡

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古代出雲歴史博物館

島根県立古代出雲歴史博物館に行ってきました。

出雲地方は「神話のふるさと」と言われるように、神話とゆかりの深い場所が数多く存在します。

1984年と1996年に銅剣や銅鐸、銅矛などが大量に発掘され、さらに2000年には出雲大社の境内から巨大な三本の柱が発見されました。

総合展示室では、島根の歴史と文化を特徴づける『四隅突出型墳丘墓』『出雲の玉作』『石見銀山』『たたら製鉄』の四つに注目し、古代から現代に至る島根の人々の生活と交流の様子を紹介します。

ちなみにこの博物館の設計は槇文彦さんによるものです。

常設展には、巨大神殿のレプリカと、出雲国風土記を中心に、当時の暮らしを紹介していました。

また、大量に出土した弥生時代の青銅器や古墳時代の豪族を飾った金銀の大刀も飾られていました。

ここで、出雲の起こりのあらすじをご紹介しましょう。

スサノヲの6代孫のオオクニヌシは、人間の住む世界である葦原中国(あしらはのなかつくに)の平定を成し遂げ、国作りを始めました。そして、完成した葦原中国は賑い栄えました。

天上からそれを見ていたアマテラスは、突然、葦原中国は自分の子が治めるべきであると言い出します。

そして、国を譲るように伝える使者を地上に派遣しました。

それで派遣されたのは、タケミカヅチアマノトリフネの二人の神でした。

二神は出雲の国の稲狭の浜に降り立ち、オオクニヌシに国を譲るように迫ります。

オオクニヌシは国を譲る条件として、天の御子が住むのと同じくらい巨大な宮殿に住まわせてほしいと言いました。

これが出雲大社、出雲という土地の起源です。

いわゆる国譲りの神話ですね。

次に、同じく島根県にある荒神谷遺跡にも行ってきました。

荒神谷遺跡

出雲の荒神谷(こうじんだに)遺跡に行ってきました。

出雲市の斐川町(ひかわちょう)あたりの、広域農道の建設にともなう遺跡分布調査を行ったところ、調査員の一人が田んぼのあぜ道で古墳時代の須恵器(すえき)の破片を拾ったことがすべての始まりでした。

この谷の南側に「三宝荒神(さんぽうこうじん)」が祀られていることから、遺跡名を「荒神谷遺跡」と命名し、本格的な発掘調査が行われたそうです。

そして発掘調査が始まった1984年に銅剣358本、翌年の1985年にはそこから7mほど離れた地点で銅鐸6個、銅矛16本という大量の青銅器が出土し、これらは全て1998年に「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されたそうです。

世紀の大発見といえるこれら青銅器の大量出土ですが、一体いつ、誰が、何のために埋めたのか、詳しい事はほとんど分かっていないそうです。

それまで島根県は青銅器の出土例や遺跡などの発見もほとんどなく、考古学上それほど注目はされていませんでした。

日本最古の歴史書である「古事記」などには古代出雲の記述があり、神話の舞台としても数多く登場する地であるにもかかわらず、”出雲王国”を具体的に証明できるものがなかったため、それらは神話の域を脱する事はなかったそうです。


しかしこの大量の青銅器を前に、「出雲には何かがあった」と出雲王国の存在を誰もが感じ、神話は一気に現実味を帯びることになりました。

今回写真は載せませんでしたが、出土された場所まで実際に行くことができます。

あなたもぜひ、島根で古代史のロマンを味わってみてはいかがですか?

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