ブッダはネワール族の王子仮説
はいみなさんこんにちは。
中沢新一著『芸術人類学』を読んだとき、こんなことが書かれていて、私は驚きました。
「ブッダが生まれたのは、今でいうところのネパールです。
そこに住むシャーキャ族は、インドの支配階級だったアーリア人とは違うルーツ(文明)をもつアジア人でした。
そのシャーキャ族では、ブッダの7世代も前から彼の思想と言われてきたものを聖者たちによって語られていました。
つまり、ブッダとは、自分の考えを発信したのではなく、思想を受け継いで発信した、ということになります。」
ほんとかよ・・・
私はずっと心に引っかかっていて、調べてみることにしました。
たしかに、ブッダの生誕地は、ネパールのルンビニというところで、そこは世界遺産として登録されています。
現在、ネパールの総人口のうち5%にも満たない先住民族に、ネワール族がいます。
ネワール族は、ネワール仏教というものを信仰しています。
また、ネワール族にはサキヤ・カーストという身分の職人が知られており、
サキヤ・カーストはコーサラ国によって滅ぼされた釈迦族(ブッダの一族)の末裔だと信じられています。
コーサラ国というのは、カスピ海の北方から中央アジアに南下したアーリア人が作った国です。
その後コーサラ国は、マガダ国に制圧されました。

ちなみに古代のインダス文明を築いたのはドラヴィダ族でして、
紀元前1500年頃にインドにあとから入って来たアーリア人に押されて、
そのドラヴィダ族は南インドに追いやられました。
ほんでそのアーリア人たちは、自分たちの民族が優秀で支配的な立場であることを示すために、
バラモン教とカースト制度を敷いたそうです。
ここで私は一つの仮説が浮かびました。
ブッダは、ネワール族の王子だったのではないか。

ゆえに、王子だけれど順風満帆の国の王子だったというわけではなく、
北方から南下してきたアーリア人に滅ぼされゆく己の国の教えを守るために、
仏教を創設したのではないか・・・
現代のネパール
現在のネパールには、有名な観光地として、パタンという街があります。
このパタンの地には、かつてパタン・マッラ朝の都が置かれていました。
このパタンの街に、現在でも少数民族であるネワール族が住んでいます。
ネワール族は、美しい建築や工芸の伝統を今に伝えています。
執筆者:山本和華子
参考文献 『芸術人類学』中沢新一著
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