キラキラインスタグラマーから一転、質素な庵でミニマリストを始めた話

はいみなさんこんにちは。

先日、中田敦彦さんが自身のユーチューブ動画で鴨長明の「方丈記」を取り上げているのを見て、

「これはいいな」と思い、私もそういう生活をしたいと思っていざ実践することにしました。




私は長年、観光ガイドになりたいと思っていましたが、その夢を畳むことにしました。

また、祇園でホステスをやりながら華やかな写真を投稿し続けていた、私のアイデンティティにも似たインスタグラムのアカウントを削除しました。使ってなかったフェイスブックのアカウントも削除しました。

ライブ配信アプリのアカウントも削除しました。

オンラインで自分を誇示したり承認欲求を満たそうとする欲望に終止符を打ちました。

ツイッターとこのブログだけ、残しました。




ホステス時代は、クラシック作曲家の名前を覚え、

フランスワインの銘柄を覚え、

高級ウィスキーの名前を覚え、

茶道の基本を覚え、

着物の基本を覚え、

西洋絵画の画家の名前を覚え、

そういう、ブランドとしての知識の羅列を増やし、

高級志向もどきの暮らしをしておりました。



私は貧困層に育ち、いろんなことを我慢して育ちました。

私も塾に通ってみたかった。

私も第一志望の私立大学の入試を受けてみたかった。

みんなと同じ経験も、私も欲しかった。

得られなかった悔しさ、執着は、私によって強いものでした。

その反動で、私は学校を卒業後、放蕩暮らしを極めました。

キラキラした写真をインスタに投稿することで、貧困育ちというコンプレックスを昇華していました。

しかし、それももう必要ありません。

幸福の意味を、今一度捉えなおそうと思いました。



好きな人と結婚するとか、

世界一周旅行するとか、

夢を叶えるとか、

欲望というものは、果たしてもいいし、果たせなくてもいい。

どちらでもいい。




私は長年、与沢翼が大好きでした。

秒速で資産を稼ぎ、華やかな生活を続ける与沢翼みたいになりたくて仕方なかった。

世界旅行に行きたかった。

世界各国の写真をインスタグラムに投稿して、みんなから称賛を得たかった。

しかし大学を卒業してからの10年間を振り返ると、

私は決して、自分の夢に向かって努力したり頑張ったりできる人間ではありませんでした。

海外に行くための貯金を1円もしていませんでした。

お金はすべて書籍に回していました。

人は、生きてきた形跡によってその人が作られます。

私はこの10年で得たものは、謎の華やかなインスタグラムアカウントと、

膨大な書籍と読書ノートだけでした。

しかもそのインスタアカウントも削除したので、

実質残ったものは、読書記録だけ。




人生というものは、往々にして理想とはかけ離れていくものです。



自宅アパートに「寒山庵」と名前を付けました。名前は寒山拾得から引用しました。

自分を誇示しようとするための経験値はもう必要ありません。

女子あるあるマウンティングと戦う武器ももう必要ありません。

最低限の服と本だけ残し、あとはメルカリで売りました。

覚悟というか、諦観に近いです。

執筆者:山本和華子

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