はいみなさんこんにちは。
私は長い間、カネもちの娘が親のスネで世界旅行に行くことに対して嫉妬していました。

親のスネで、いくらでも自分の自己価値を無限に創出していけるお嬢様が本当に羨ましかった。
でも、最近気付いたんです。
本質的な自分の価値って、自分でしか作っていけないのでは?ということに。
高校生のときに塾に通わせてもらってブランド大学に入学するとかいうようなたぐいの一定の価値というものは、
親のスネでどうにかなるもので、親のスネである程度勝敗が決まるものです。
しかし、親に多額の教育資金を貢いでもらったにも関わらず、予後残念な人生を送っている元お嬢様もたくさんいる。
最終的な自分の価値というものは、やっぱり、自分の力で培っていくしかない。
今日は、バロック時代の作曲家であるバッハを通して、「人としての本質的な価値とは?」について書いてみたいと思います。
バロック時代のヨーロッパの雰囲気
バロック時代の作曲家のひとりに、バッハがいます。
バッハといえば、教会で黙々と、静謐な音楽を作っていたイメージがありますね。
バロック時代の作曲家に、ヘンデルもいます。
ヘンデルといえば、キラッキラの輝かしい経歴の持ち主で、バッハの生きざまとは対照的でした。
バロック時代といえば日本ではバッハの方が有名ですが、
バロック時代のヨーロッパは実にヘンデルっぽいというか、華やかな時代だったのです。
バロック時代、フランスではルイ13世~14世の時代で、ヴェルサイユ宮殿が建設された時代でした。
バッハはバロック時代の末期に生まれ、あんまりバロックっぽくなかったのです。
ちなみにバッハはドイツの人ね!
バッハの生きざまから学ぶこと
さて、あまりバロックっぽくないバロック時代のバッハでしたが、彼の活動や作曲の動機は、主にキリスト教への信仰心と音楽探究への情熱でした。
仮にですよ、「親のスネで華やかな人生を送っている実家太いお嬢様が羨ましい」と私が言っているような感じで、
バッハが「華やかに活動範囲を広げているヘンデルが羨ましい」と思っていたら、あのような素晴らしい作品の数々は残っていなかったと思います。
バッハは、人と比べることなく、自分の創造の才覚に価値を見出していたからこそ、素晴らしい作品を残すことが出来ていたのです。
「地理的な活動範囲が広い」とか、「華やかな生活を送っている」とか、そういうのって、たぶん、本質的な人間の価値ではない。
人間の本質的な価値って、独自性だったり、創造性だったり、自分の使命を果たしたり、人さまの役に立ったり、人さまの心を動かしたり、自分の納得のいく人生を選択していくことだったりなんだと思います。
易経の教え
東洋哲学の『易経』には、こんな教えがあります。
なんじの霊亀(れいき)を舎(す)てて、我を観て頤(い)を朶(た)る。凶。
自分が持つ知恵を活かそうとせず、他人の富をうらやんでいるのは凶である、という意味です。
バッハは最初から、自分のいいところに気付いて、華やかな生活に目もくれず、黙々と自分の使命を果たしていた姿勢というのは、大吉なのですね。
さて、私はいつ、自分の良さに気付けることが出来るのでしょうね!?!?(笑)
決まっている未来は今貪る必要がない
ていうかそもそもですね・・・
「引き寄せの法則」でいえば、私が未来、世界一周旅行に行くことは決まってるんですよ。
決まっているのに、なぜあえて今、その未来を貪って今それをしていない現状に不満を抱いているのでしょうか。
未来、私が世界一周旅行をすることは決まっているのだから、
それを純粋に楽しみにしておいて、今はどっしりと自信を持って生きていけばいいんじゃないのか。
執筆者:山本和華子
