なぜ野々村仁清の作品は、千利休の侘茶の作品と違って華やかな色彩なのか?

野々村仁清とは、江戸時代初期の京都の陶工です。彼の窯は御室仁和寺の門前にあり、仁清の「仁」は仁和寺から賜わっています。

その仁和寺ですが、公家と関わりの深いお寺である、ということを頭のかたすみに置いておきましょう。

さて。桃山時代から江戸時代までの茶壷を見てみると、「侘び寂び」に代表される地味な茶壷と、

野々村仁清を始めとした、京焼の華やかな色彩を帯びた茶壷との著しい違いに気付くことができるかと思います。

その野々村仁清ですが、実は、自らの考案であのような華やかな作品を作ったのではありませんでした。

仁清は、飛騨の茶人である金森宗和という人物のプロデュースによって、茶器を作ったと言われています。

金森宗和は、公家社会に深く関わり、その中で茶道を定着させたとされています。

その茶風は明るく軽やかで優美を好み、姫宗和(ひめそうわ)と称されています。

仁清の茶壷の特徴は、金森宗和の思想を反映するものと考えられています。

ちなみに侘茶の道具には多く「銘」が付いていますが、宗和の道具には銘が付いていないものが多いです。

金森宗和は、武家茶道の侘びの道具としての茶壷とは全く違う茶壷を仁清に描かせ、

公家の正当性と優位性を明らかにしたかったのではないでしょうか。

執筆者:山本和華子

参考文献 谷晃著『金森宗和 異風の武家茶人』

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