まだ出会っていませんが、
いつか、「この人を一生涯において愛し貫きたい」と思う人と出会えたら、
その人が、ハーバード大学を首席で卒業したとか、
外資系金融に勤めて年収なんちゃら万円とか、
チャンネル登録者数なんちゃら万人の有名ユーチューバーとか、
そんなことなんて、心の底からどうでもいい。
そんなつまらない物差しでしか愛する人の魅力を測定することができないのか、というお話。
そもそも「人」というのは、
その人が見て聴いて感じてきたもののすべてを
投影したり反映したりして形作られるわけで
肩書によって形作られるわけではない。
私が未来に出会う「愛し貫く人」というのは
その人が見て聴いて感じてきたもののすべてを投影・反映したその姿を愛したいと思うわけであり
なぜ後付けの理由で肩書というような分かりやすい指標・俗物が必要であろうか。
追伸 そんなつもりで出会ったわけではないけれど
先日ある人の存在を知って、
私の執筆活動が飛躍的に進んだのは事実。
芸術の触媒のようなもの。
執筆者:山本和華子
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【山本和華子のプロフィール】
山本和華子のプロフィール はじめまして。山本和華子と申します。 私、山本和華子は現在、作家・写真家、小さな出版社「寒山社」の代表として活動しております。 これま…