愛と引き換えに、自分の生存があるって感じ

あとでこのブログ消すかも。

とりあえず、今考えていること。

私はずっと境界性パーソナリティ障害を患っている。

境界性パーソナリティ障害というのは、いわゆるメンヘラというやつで、

親から虐待されたことが原因とか、親から適切に愛されなかったとか、

まぁ発症の原因は人それぞれ。

まぁそういうわけで、私は境界性パーソナリティ障害の発作により

数日間にわたって生死をさまよっていました。

やばいよねw

推し活で生死をさまようとか重症すぎるだろ。

死んだ方がましだよ。

そんなの、自分が一番わかってるよ。





なにか身体の病とかだったら、

「推しのライブまで前向きに生きのびよう」とかになるけど

私は心の病だから

推しのライブの予約チケット、キャンセルした。

そうじゃないと、私が生きられないから。

推しのファンはさ、たくさんいるけど

私が生きるか死ぬかは、私が判断しなきゃいけない。

私が生きるか死ぬかを決めるのは、私にしかできない。

推しは私がいなくても他のファンがたくさんいるけど

私の生存の舵は、私しか握れない。




数日前に推しのライブチケットをキャンセルしたこととか

推しのSNSアカウントをブロックしたこととか

実はあんまり記憶がない。

なんか、別の人がやったことみたいな感じ。




私は今生において

愛を諦めなきゃ自分が生きていけない。

なんか

愛と引き換えに自分の生存があるって感じ。

そんなん、生きる意味あるんかって思うよな。




好きな人を素直に好きで居続けることすら叶わないのに

生きていかなきゃいけない理由って何なんだろね

好きでいたいだけなのに

応援していたいだけなのに




ずいぶん前から私の生命はありあまる「自殺の理由」という駒によってチェックメイト済みなのに

いまだに図々しく生き続けている私の存在価値って何なんだろね。





追伸 私の本が、国立国会図書館の公式Webサイトにて検索可能になりました。

夢がまた一つ、叶いました。

夢ってさ、一人で叶えられるものではないよね。

長年信頼しているゴッドハンドデザイナーの方や、

出版社の担当者の方など、

たくさんの方とタッグを組んで、初めて大きな夢を果たすことができる。

執筆者:山本和華子

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