詩人の山田かまちが好きな私のことですから、当然覚えていますでしょう。
彼の詩の一節。
「生きることを生きろ」
私はこの言葉を、今、どんな風に受け止めているだろう。
私はずいぶん長い間、忘れてしまっていたような気がします。
山田かまちのことは好きだと言っておきながら、
私が10代のときに出会って衝撃を受けたその言葉を、
もうずっと忘れてしまっていた。
社会人になってからは日々の仕事に忙殺されて、
本当に、自分の命が、今まさに燃えていることを忘れてしまっていた。
私は先日、生死をさまよっていた。

あの臨死体験は、一体何やったんや。
何のメッセージだったんだろう。
臨死体験は最初、「これは境界性パーソナリティ障害の症状の一環で、私は推し活をそろそろ辞めるべきなんだろうな」と解釈していた。
本気で推し活を辞めようとしていた。
まぁ、私ひとりが推し活を辞めたところで、
推しには元々たくさんのファンがいるし、
何も問題はないからね。
そう思っていた。
しかし、臨死体験というのは、本人である私はいかように解釈してもいいわけである。
医者になんと言われようが(といっても実はまだ医者に行けていない)。
私はあの日、生まれ変わったのかもしれない、そう解釈することにした。

私は、自分がマイノリティとして生まれたということもあり、
神から与えられた罰ゲームのような切り札と、自分の運命を呪いに呪いまくって、
これまでに5000兆回は、「生まれてくるべきではなかった」と自分に言い聞かせていた。
そういうわけで私は、
厭世的で、退廃的で、虚無的で、世の中を斜に構えるだけのクサクサした日常を送っていた。
私はこのWebサイトを持つ前はアメブロを使っていたのだが、
そのアメブロでは何度か、
「いつか、ヴィクトール・フランクルの言うような、自分の人生にイエスと言う、そういう人生を知ってみたい」
と投稿していた。
しかし、自分の人生にイエスと言える日はなかなか来なかった。
自分の人生を、肯定できないままだった。
私の推しは、媒体で伝えることを生業としていますが、
その一方で、「彼自身の生きざま」を通して、メタメッセージを、
いつもファンである私たちに届けてくれます。
私はそのメタメッセージを受け取ると、
推しと、山田かまちを重ね合わせてしまうことが何度かあります。
まぁ、推しは99%、山田かまちの存在を知らないとは思いますが。
(なんせ推しはキラキラ陽キャ側の人間なので・・・)
推しは、自分が与えられた切り札を元手に、自分の人生を開拓してきた。
私はその推しの真摯に生きる姿勢を、好きになった。

私は、いつになったら自分の人生に納得して、
自分の人生を肯定して、自分の人生にイエスと言えるようになるのだろう。
神から与えられた罰ゲームのような切り札、
それを「神からの贈り物」だとか「Gifted」だとか世間では言うようだが、
そんな簡単なことじゃない。
でも、簡単なことじゃなくても、遅かれ早かれ私は、
その罰ゲームのような切り札を、自分で磨いて、三日月宗近にしていかなければ、
自分の人生が始まらないのである。
あぁ、私はあの臨死体験の日、
「死を待つだけの残命償却の時間を消化する人」としての自分は死んでしまって、
「この私を生きるのだ」という覚悟で、自分の「生」を全肯定して真摯に生きることを始めたんだな、
と解釈した。
「この私を生きる」というのは、
〇〇が出来るから(能力、Ability)生きるに値するのだというような、そんな条件付きの生存権ではなく、
どんな自分であっても自分の生をまず受け入れるというお話なのだと思う。
能力やお金、地位や名声を所有できたかどうかはまったく関係なく、
「今、ここ」で、自分の人生にイエスと言うのか、どうなんや、と自分と対峙する。
私は自分の人生に、イエスと言おうと思う。
そして、「私は、自分の1本の筆を三日月宗近として生きていくんや」という覚悟で、作家の道を歩もうと思う。
執筆者:山本和華子
【本を出版しました】

最後に、山田かまちの「生きる」という詩を、紹介してこの記事を終わりにします。
山田かまち 「生きる」
かまち、おまえは
人に好かれるか好かれないかということで
生きているのではなかったはずだ。
おまえは、生きる。
ただ自分の生き方を貫く、
それひとつだけのために。
おまえは裸。
たったそれだけ、おまえの心しか
この世にはない。
おまえの生き方を貫く。
消えるまで、生命が消えるまで、
全ての力を出し切って、生ききる。
それがおまえの生き方だ。
おまえの生き方を貫け、
それは意地ではない。
美しさだ。
今までは人の言うことを聞きすぎた。
みじめな気持ちになり、
仲間が欲しくなり、
ろくでもないやつを仲間だと思い込む。
そこからおまえがくずれていく。
かまち、おまえはもっと自分を大切にしろ。
激しく美しく生きろ。
みせかけや、
その時のいくじなしなみじめさは、
軽く、安いものだ。
激しい美しさ、真の叫びこそが美しい。
くだらん連中に妥協するな。
おまえにはおまえがある。
人のことは考えず、自分の生き方を貫け。
輝く激しさだけを信じろ。
今を信じろ。
自分を信じろ。
ただその燃える、一本の生命を信じろ。
おまえは美しい。
それは誰がなんと言おうと、
変わることのない偉大な真実だ。
人に悲しまされるな、物事に悲しまされるな。
かまち、おまえは生きることを生きろ。
おまえは再びおまえをつかめ。
おまえは眠っていた。
それをゆり起こして、
さあ、
再びおまえを生きるんだ。
再びおまえを!
妥協は敵だ。
おまえはおまえしかないのだ。
おまえがおまえでなくてどうする!?
おまえは生きることを生きろ。
昔を思い出せ!