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イギリスの政治・経済・歴史をわかりやすく解説

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イギリスの歴史

イギリスの正式名称は「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」といい、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの国が連合している状態が、現在までも続いています。

紀元前9世紀頃、ブリテン島にはケルト民族が移住してきて、ケルト民族の文明が栄えていました。

紀元前60年頃、ローマ帝国がブリテン島に侵攻を開始しました。ローマ皇帝クラウディウスがブリテン島の大部分を征服しました。この征服された地域はブリタニアと呼ばれ、その中心地にはロンディニウム(現在のロンドン)が建設されていくようになります。

それにより、ブリテン島にはケルト文化に加えてローマ文化も加わっていきました。

紀元後395年にローマ帝国は東西に分裂します。ブリタニアは西ローマ帝国の管轄地となりましたが、当時のローマ帝国にはもう力はなく、属州の管理維持が出来なくなっていたため、ブリタニアを放棄。ここに、ローマの支配は終結しました。

その頃ゲルマン民族の大移動があり、ブリテン島にもゲルマン民族の一派であったアングロ=サクソン人が移住するようになっていきました。

9世紀、エグバードがイングランドを統一し、1282年にはイングランド王国はウェールズ公国を併合します。

時代はくだり、16世紀後半、イギリス・テューダー朝の絶対王政全盛期の女王に、エリザベス1世がいました。彼女はイギリス宗教改革を完成させ、重商主義政策をとってイギリス海洋帝国の基礎がつくられました。

当時、スペインの最大の強みは航海でしたが、それに対しエリザベス1世は私掠船(しりゃくせん、海賊船のこと)を使って、スペインの銀や香辛料を次々と奪い取っていきました。これに対してスペインはイングランド侵攻を決意しが、アルマダの海戦にてイギリスはスペインを壊滅させました。当時、最強の国家であったスペインを打ち破ることでイングランドの栄光は決定的なものになり、敗北したスペインは衰退していきました。

エリザベス1世の時代、イングランドの主力産業だった毛織物産業が活発化。1600年に東インド会社が設立され、世界各国の貿易をイングランドが牛耳っていくようになります。

17世紀に入るとアメリカへの進出が本格化します。イギリス本国からたくさんの植民者が現れるようになります。

また、1689年には名誉革命が起こり、議会政治が確立しました。議会は国民の生命や財産の保護を定めた権利の章典を制定しました。

アン女王の時代、1707年にイングランド王国とスコットランド王国は併合されました。

18世紀、イギリスで産業革命が起こった。19世紀、生産したものを輸出するために世界各地に進出していきます。

イギリスは隣国であるアイルランドを征服。これにより、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドからなる現在の形が成立しました。

イギリスの産業・経済

1970年代に発見された北海油田の開発により、イギリスは原油採掘大国になりました。

石油とガスが、イギリスの総一次エネルギー需要の4分の3以上を占めます。

航空宇宙産業、医薬品産業、自動車産業で最先端技術を有する企業がいくつもあります。

EU離脱により、EU各国との貿易の不安定性が懸念されています。

GDPは世界第5位です。

イギリスの政治

イギリスでは、議会における二院制かつ議員内閣制をとっています。

イギリス議会は、貴族と聖職者、終身議員からなる上院の「貴族院」と、国民の選挙で選出された議員からなる下院の「庶民院」で構成されています。

イギリスには国王がおり、国の最高権力者とされますが、実際の国のリーダーは首相です。

議員内閣制は17世紀以降のイギリスで発展したこともあり、イギリスは議院内閣制の母国と言われています。

議院内閣制とは、議会と内閣が互いに助け合って、国政を運営していく制度です。

執筆者:山本和華子

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