【春】
壬生忠岑(みぶのただみね)
春立つと いふばかりにや み吉野の 山もかすみて けさは見ゆらむ
現代訳) 春になったと口にするだけで、雪深い吉野山も、今朝は霞んで見えるのだろうか。
この和歌は、鎌倉時代に編纂された『新古今和歌集』に選ばれています。
壬生忠岑は平安時代の歌人で、三十六歌仙の一人です。
歌の世界では、霞こそが春の到来を表すものの代表とされてきました。
霞は、春らしい風景を待ち望む、期待感の現れとして表現されます。
和歌は現実をそのまま再現しません。現実には得られないような、理想的な状態を追い求めます。
この和歌では、昨日まで雪が降り積もっていた吉野の山々にも、霞がかかっているのが見える。しかし、そう見えるのは、春を求める私の期待感が幻を見せているのか、実際に見えているのか、どちらかわからない、という謎めいたものを表現しています。
【夏】
藤原実定(ふじわらのさねさだ)
時鳥(ほととぎす) 鳴きつる方(かた)を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる
この和歌は、平安時代に編纂された『千載和歌集』と、『百人一首』に選ばれています。
藤原実定は、平安から鎌倉にかけて活躍した公卿・歌人です。
春のうぐいす、秋の雁(かり)、冬の千鳥とともに、ほととぎすは和歌の世界で代表的な鳥です。
ここで重要なポイントは、ほととぎすが、なかなか鳴かない鳥であること、そして夜にしか鳴かないことです。
藤原実定は、ほととぎすが鳴くのを一晩中待っていたのでしょう。
そして待ち続けた甲斐あって、ようやく一声。
そして空には、有明の月だけがある。
有明の月とは、明け方になっても空に残っている月のことです。

【秋】
恵慶法師(えぎょうほうし)
八重葎(むぐら) 茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり
現代訳) ひどくムグラの生い茂った寂しい家には、誰もやってくる人はいないが、秋はやってきたのだった。
この和歌は、平安時代に編纂された『拾遺(しゅうい)和歌集』と、『百人一首』に選ばれています。
恵慶法師は、平安時代に活躍した、僧侶・歌人です。
ムグラとは、ツルを伸ばす雑草の総称です。
八重ムグラは、ムグラが幾重にも取り囲むように生い茂っている様子で、荒れ果てた家のさまを表します。
ムグラの生い茂る荒廃した寂しい家は、皆に見捨てられて誰もやってこないのに、秋だけは訪れてきた、という歌です。
これは、恵慶法師が河原院で詠んだ歌です。この河原院というのが、キーポイントになります。
河原院は、源融の邸宅です。融は嵯峨天皇の皇子ですが、皇族の身分から離れることとなりました。
これを臣籍降下(しんせきこうか)といいます。この臣籍降下により、彼は天皇の子でありながら皇位継承の可能性を失い、寂しさや悔しさを抱いていました。
この源融ですが、能の演目、「融」の主人公です。
この演目は、ただただひたすらお金のかかった暇つぶしをするという内容です。
そして河原院は、信じられないほどの大邸宅で、贅をつくした建物と庭園で有名でした。
源融は、お金のかかった暇つぶしをしたり、大邸宅を築いたりすることで、心の内の寂しさや悔しさを昇華していたのではないでしょうか。
そして融の死後、河原院は衰微し、荒れ果てていきました。
恵慶法師は、その荒れ果てた河原院で、現実には叶えられない様々な思いを和歌に込めました。
そこには、望みの絶えた寂しさ、悲しさを盛り込みました。

【冬】
藤原清輔(ふじわらのきよすけ)
冬枯れの 森の朽ち葉の 霜の上に 落ちたる月の 影の寒けさ
現代訳) 冬枯れとなった森の下に積もった朽ち葉には、一面に霜が降りている。その霜の上に落ちている月の光の、何と寒々としたこと。
この和歌は、鎌倉時代に編纂された『新古今和歌集』に選ばれています。
藤原清輔は、平安時代の公家・歌人です。
この和歌の、「朽ち葉」に注目してみましょう。
「朽ち葉」という語には、時間が込められています。「枯れる」ことから「朽ちる」ことまで思いを馳せてみましょう。時間が感じられることと思います。
冬が来て、夜になった。寒さでその朽ち葉の上に霜が降りる。そこに月の光が射してくる。光を反射して、霜が輝きます。
美しいものが衰え、失われていった最後に、凛とした光の美が浮かび上がるという、風景のドラマが出現するのです。
執筆者:山本和華子
【参考文献】
【本を出版しました】



