李白の詩を楽しもう ~自由で気ままに生きる極意~

はいみなさんこんにちは。

今日は、李白(りはく)という、唐の時代に活躍した詩人の詩を楽しみましょう。

彼の作る詩はのびのびとしていて、深みのある情感にあふれ、現在でも世界中の人々に愛され続けています。

彼は、詩仙(詩の仙人)と呼ばれました。

李白はいつも、自由奔放で、お酒と月が好きで、放浪の日々を過ごしていました。

最期は、夜、船に乗って酒に酔い、水上に浮かぶ月があまりに美しかったため、掴もうとしておぼれ死んだと伝えられています。

では、李白の詩を見ていきましょう。

静夜思

牀前明月光

疑是地上霜

擧頭望山月

低頭思故郷

静夜思(せいやし)

牀前(しょうぜん) 明月(めいげつ)の光

疑うらくは是れ地上の霜かと

頭(こうべ)を挙げて山月を望み

頭を低(た)れて故郷を思う

静かな夜の思い

ベッドの前の月の光が、

地面に降りた霜のようである。

頭を挙げて山の上の月を眺め、

頭を垂れてふるさとを思い起こす。

この詩では、ベッド(牀)の前の床に投げかけられた月の光が、まるで地面の上に敷きつめられた霜のようであると言っているんですね。

李白はまず室内の白さに驚き、それが霜かと思ったら月の光であることに気付いたのです。

それではもう一つ、彼の詩をご紹介します。

峨眉山月歌

峨眉山月半輪秋

影入平羌江水流

夜發清渓向三峡

思君不見下渝州

峨眉(がび)山月の歌

峨眉山月 半輪(はんりん)の秋

影は平羌江水(へいきょうこうすい)に入りて流る

夜に清渓(せいけい)を発して三峡(さんきょう)へ向かう

君を思えども見えず 渝州(ゆしゅう)に下(くだ)る

峨眉山月の歌

峨眉山に半輪の月がかかる秋、

月の光は平羌江の水に映って流れている。

夜、清渓を発して三峡へ向かおうとしているが、

君に会えないまま、渝州へ向かうのだ。

中国の詩の中に描かれる月は、たいていが満月です。しかし、この詩には、半輪の月(半月)が描写されています。なぜでしょうか。

半輪の月とは、この詩全体に流れている「満たされない思い」が暗喩されているのではないでしょうか。

三峡とは、長江の有名な三つの峡谷です。両岸から絶壁が迫り、川幅が極端に狭まっているので、激しい急流が続きます。この激しい景観と心情を、詩によって重ね合わせています。

執筆者:山本和華子

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