古典和歌の四季を楽しもう ~平安貴族の教養を知る~ ~日本文化紹介シリーズ~

はいみなさんこんにちは。

今日は、古典和歌の四季を楽しんでみましょう。

【春】

壬生忠岑(みぶのただみね)

春立つと いふばかりにや み吉野の 山もかすみて けさは見ゆらむ

春になったと口にするだけで、雪深い吉野山も、今朝は霞んで見えるのだろうか。

歌の世界では、霞こそが春の到来を表すものの代表とされてきました。

霞は、春らしい風景を待ち望む、期待感の現れとなっています。

和歌は現実をそのまま再現しません。現実には得られないような、理想的な状態を追い求めます。

この和歌では、昨日まで雪が降り積もっていた吉野の山々にも、霞がかかっているのが見える。しかし、そう見えるのは、春を求める私の期待感が幻を見せているのか、実際に見えているのか、どちらかわからない、という謎めいたものを表現しています。

【夏】

藤原実定(ふじわらのさねさだ)

時鳥(ほととぎす) 鳴きつる方(かた)を ながむれば ただ有明の 月ぞ残れる

春のうぐいす、秋の雁(かり)、冬の千鳥とともに、ほととぎすは和歌の世界で代表的な鳥です。

ここで重要なポイントは、ほととぎすが、なかなか鳴かない鳥であること、そして夜にしか鳴かないことです。

藤原実定は、ほととぎすが鳴くのを一晩中待っていたのでしょう。

そして待ち続けた甲斐あって、ようやく一声。

そして空には、有明の月だけがある。

有明の月とは、明け方になっても空に残っている月のことです。

【秋】

恵慶法師(えぎょうほうし)

八重葎(むぐら) 茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね 秋は来にけり

ひどくムグラの生い茂った寂しい家には、誰もやってくる人はいないが、秋はやってきたのだった。

ムグラとは、ツルを伸ばす雑草の総称です。

八重ムグラは、ムグラが幾重にも取り囲むように生い茂っている様子で、荒れ果てた家のさまを表します。

ムグラの生い茂る荒廃した寂しい家は、皆に見捨てられて誰もやってこないのに、秋だけは訪れてきた、という歌です。

これは、恵慶法師が河原院で詠んだ歌です。この河原院というのが、キーポイントになります。

河原院は、源融の邸宅です。融は嵯峨天皇の皇子ですが、皇族の身分から離れることとなりました。これを臣籍降下といいます。

で、この源融ですが、能の演目、「融」の主人公です。

ただただひたすらお金のかかった暇つぶしをするという内容です。

ただし、お金のかかった暇つぶしをしていたのには、理由があるのです。

河原院は、信じられないほどの大邸宅で、贅をつくした建物と庭園で有名でした。

しかし、融の死後、河原院は衰微し、荒れ果てていきました。

恵慶法師は、その荒れ果てた河原院で、現実には叶えられない様々な思いを和歌に込めました。そこには、望みの絶えた寂しさ、悲しさを盛り込みました。

また、高貴で威勢を誇りながら滅びていった融に、自分の気持ちを投影しました。

【冬】

藤原清輔(ふじわらのきよすけ)

冬枯れの 森の朽ち葉の 霜の上に 落ちたる月の 影の寒けさ

冬枯れとなった森の下に積もった朽ち葉には、一面に霜が降りている。その霜の上に落ちている月の光の、何と寒々としたこと。

「朽ち葉」に注目してみましょう。

「朽ち葉」という語には、時間が込められています。「枯れる」ことから「朽ちる」ことまで思いを馳せてみましょう。時間が感じられることと思います。

冬が来て、夜になった。寒さでその朽ち葉の上に霜が降りる。そこに月の光が射してくる。光を反射して、霜が輝きます。

美しいものが衰え、失われていった最後に、凛とした光の美が浮かび上がるという、風景のドラマが出現するのです。

執筆者:山本和華子

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