人の痛みを知ること、本質的な優しさのこと

はいみなさんこんにちは。

最近の私、推しの話しかしてなくない?

お店出禁になってんのになw

まぁいいや(いいのか?)。

目次

推しの好きなところ、むちゃたくさんある

推しの好きなところはたくさんあります。

与えられた切り札を元に、自分で自分の人生を切り開いてきたところとか、

学歴や職歴のような「装飾」を一切武器にしなくても魅力的に生きているところとか、

たくさんのファンの心を大きく動かしてきたところとか、

本気で真摯に、まっすぐひたむきに生きているところとか、

生粋の数寄者であるところとか、

アーティストとして、誇りをもって自分の作品を世に出そうと努力しているところとか、

自分のやりたいことをたくさん実現してきたところとか。

でもね、最近、もう一つ見つけました。

人の痛みを知っているからこそ、人に優しいところ。

私は優しい人間ではない

ちなみに私は、まったく優しくないです。

手相の占い師の先生いわく、私は癒しと優しさの人間らしいのですが、

マジで私は優しさのカケラもないです。

自称繊細さんのナヨナヨした自称優しい人とか、世界で一番嫌いな人種であるくらいに、

私はあんまり自分の人生に、「優しさ」というものを重視してきませんでした。

そう、あのね、きいて。

私はこれまで、「優しさ」とか、「挑戦すること」とか、重要視してこない人生だったんですよ。

でも、推しと出会ってから、「そういえば世の中にはそういう言葉や世界観も存在しているよな」っていう気付きがたくさんある。

面白いなって思う。

優しさってなんなんだろね。

港区女子がサラダを取り分けることなのか?

女が泣いてたら男が「話きこか?」って言うことなのか?

「私は優しい人間なので」と自称することなのか?

どうなんや。

本質的な優しさとは


私も含めなんだけど、「誰かの役に立ちたい」って、人類ほぼ全員思ってる世の中やん。

推しは、それを実際に行動に移してる。

本当にかっこいいなって思う。

あの推しの行動は、推しが、人の痛みを知っているからこそやっていることなんだろうなって思う。

本質的な優しさとは、その人の、強さのことなんだと思う。

推しは、今はもうね、マイケル・ジャクソンみたいなキラキラのスーパースターですが、

たぶんなんだけど、最初から強い人だったわけじゃなくて、

努力して、強くなった人なんだと思う。

だからこそ、人の痛みがわかる。

エンパワーメントを高める

ちなみに、私は自分で自分のことをまったく優しい人間ではないと自己評価していますが、

私の言葉や生きてきた道を見てくれた人が、

何か気付きを得たり、人生を変えたいと心から自覚できるようになったりするような、

その人の本来持っている潜在的な力を引き出す(エンパワーメント)ような手助けができる人間にはなりたいと思っている。

周りが決めること

自分がね、どう「優しい人間でありたい」とかね、そういうことを思っていても、

結局のところ、その人が優しいかどうかって、周りが決めること。ホンマにそれは私もそう思う。

なんか、私、今までの人生、あまりにもマイウェイの人生すぎて、

他者から嫌われても全然平気だし、大衆が憶測で何でもかんでも私の噂をするのとかもマジでどうでもよかった。

SNSのフォロワー数をその人の価値基準にする物差しとか、心の底からどうでもいい。

でも最近、グーグル検索って本当に便利なものね、私の名前「山本和華子」と、どんな言葉をみなさま検索してくださるかがわかるの。文明の利器ってやつよ。

みなさまから、自分がどんな風に見られているかが可視化されるわけ。

すごく嬉しかった。これまで、自分が本当に書きたいこと、伝えたいことをこだわって続けていたことが、きちんと結果となっていく。

ありがたいなって思う。

執筆者:山本和華子

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