実は私は、「繊細さん」という言葉があまり好きではありません。
自分のことを「繊細さん」であると認める、自分の弱さを認められる人を羨ましいと思っているのかもしれません。
私はあまり、自分の弱さを認めることが得意ではありません。
私には、決定的な弱さとコンプレックス、精神的アキレス腱があります。
それは、高校時代に体験した挫折にさかのぼります。
私は中学生までは、いわゆる優等生でした。
勉強も部活も頑張って、生徒会副会長で、オーストラリアにホームステイに行って。
当時、摂食障害や強迫神経症と戦いながらも、着実に人生を前に進めている実感がありました。
しかし、高校で、大きな挫折を経験します。
勉強についていけなくなりました。
元々貧困&機能不全家族のもとに生まれたこともあり、塾に通わせてもらえず、私の苦しみは解決することはありませんでした。
母は兄を溺愛、私はほったらかし。
家督相続するわけでもない可愛くない末っ子の私。
両親は離婚し、婿入りだった父は愛人と露に消えていき、母はさらに兄を溺愛。
私はここで「勉強ができる」というアイデンティティを失い、
「親に棄てられた」というトラウマと、
「自分には何もないんだ」という無力感を背負うことになります。
そして、可愛くない末っ子のことですから、
第一志望校の大学の入学は反対され、入試代を払ってもらえず、
私はペーパーで特待生として、地方Fラン私立大学に入学することとなります。
不本意な入学。
友達は一人も作る気がありませんでした。
大学を卒業してからは、京都に移住し、そこで初めて人生の花を咲かせるのです。
あの頃はまだ、ハングリー精神のようなものがありました。
ハングリー精神を元手に、たくさんの経験をしました。
着物レンタル店で、自分の仕事に誇りをもって仕事をしたり、
日本文化や京都観光に明け暮れたり、沖縄の石垣島にリゾートバイトに行ったり。
空白で透明だった自分に、初めて色付けをしていきました。
しかし、そこで、私の精神的アキレス腱に、悪魔の手が差し伸べられることになるのです。
「医者の娘が、親のスネで世界旅行に行った」という風の噂を聞くのです。
私は大変に狼狽しました。
今までの私の苦労と努力と無力感は何だったのだろう。
親のスネでいくらでも世界旅行など無限に自己価値のゲタを履かせてもらえる人種と、なぜ同じ地球という土俵で戦っていかなきゃいけないんだろう。
それ以降、私にとって、貧困育ちと親に構ってもらえなかったという「弱さ」は、「学び」や「人生を変えるチャンス」に変換することなく、「悪」に転換してしまうのです。
自分だって近道を使って、社会の旨いこぼれ汁を吸おうと思って、悪に手を染めてしまいました。
そして、社会的制裁を経験することになるのです。
それは、許されることではありません。
「弱さ」とは、「悪」なのでしょうか。
「貧困」とは、「悪」なのでしょうか。
「精神的アキレス腱」に触れられたら、人は逃げ道もなく、悪に走るしかないのでしょうか。
その後、コロナ渦で石垣島のリゾートバイトは中断、
京都では観光業が壊滅的になり、
まだワクチンが開発されていない時期だったので実家にも帰らせてもらえず、
私は北関東の工場で、住み込みで働くことになります。
そこから、私の無力感がぶり返していくのです。
「私は一体、何をしているのだろう」
「私は日本文化や京都観光の仕事に従事したいのではなかったのか」
その頃はまだ、自分の過ちを認めることができませんでした。
抱えきれなかった。
その後コロナ渦は落ち着き、私は京都に戻り、現在に至ります。
その頃からようやく、自分の悪の過去に対して真摯に対峙することができるようになってきました。
しかし、もう、色んなことに疲れてしまって、
色んなことを乗り越えられなかった無力感も相まって、
ハングリー精神がまったくもって消えてしまいました。
人生初めての引きこもりを経験しました。
ずっとやりたかった観光業に就いたわけでもなく、
人生が輝いているわけでもなく。
もやのかかった、ぼんやりとした日々を過ごしています。
でも。
やっぱり、人生やり直したい。
ある日、強くそう思うのです。
正直、もう自分の人生に疲れ切っていて、
自分の人生に期待もしてないし、
自分の力でなんとかできるとも到底思えていません。
でも、人生最後と思って、やり直したいと思いました。
自分の天命は、
貧困育ちでも、引きこもり経験者でも、悪に手を染めてしまった人でも、
どんな人でも、いつからでも、一生涯、心豊かに学び続けられる環境を作ることだと思っています。
私の「貧困の痛み」も、「親に棄てられたトラウマ」も、「学校の勉強での挫折」も、
「医者の娘に10年も嫉妬してしまう弱さ」も、「悪に手を染めてしまった失敗」も、
すべて、人さまの痛みを知るための経験だったのだと思います。
決して、キラキラな人生ではありません。
しかし、弱さも痛みもすべて受け入れることで、
私は一歩、進むことが出来る。
執筆者:山本和華子
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