今日は、禅の歴史についてご紹介していきたいと思います。
1、中国における禅の歴史
まず、禅定(ぜんじょう)とは、思いを静め、心を明らかにして真正(しんせい)の理(ことわり)を悟るための修行法です。この言葉は、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いた時からある言葉です。
この禅定に深く着目し、体系化していったのが、インドの達磨大師(だるまたいし)であり、中国の臨済です。
2、栄西と道元
鎌倉時代、栄西は日本で当時の政権からも重用され、臨済宗(りんざいしゅう)である寿福寺、建仁寺を開きました。
同時期、道元は日本で曹洞宗(そうとうしゅう)である永平寺を開きました。栄西に対し、道元は、かたくなに政権と距離を取っていました。
3、黄檗宗
中国の福建省(ふっけんしょう)生まれの隠元隆琦(いんげんりゅうき)が江戸時代に来日し、黄檗山萬福寺を開き、日本の黄檗宗の開祖となりました。
4、白隠による臨済宗の復興
江戸時代、難解といわれる「禅」の世界を、白隠が体系化し、素人でもとっつきやすいものに整理しなおしました。
また、白隠は、これまで念仏中心だった日本の禅道を、公案中心の禅に変えていきました。
いかがでしたでしょうか。
日本の禅一つとっても、様々な歴史があるのですね。
次に、禅の教えについてご紹介します。
1、無念無想(むねんむそう)
まず、仏教哲学の神髄は、「心の在り方」です。
私たちは日々、様々な欲望に捉われています。禅はそこから自由になり、「無念無想」を目指します。
無念無想とは、一切の望みを持たないことを言います。
人生は、少しだけ色んな物事を減らすことを考えれば、その分だけ世俗から抜け出すことが出来ます。
2、鳩摩羅什(くまらじゅう)
4世紀から5世紀にかけて鳩摩羅什という人物は、多くの経典を中国語に翻訳して紹介しました。
鳩摩羅什の訳したもののうち、禅の経典として有名なのが「坐禅三昧経(ざぜんざんまいきょう)」の3巻です。
その教えによれば、禅の修行には「声聞道(しょうもんどう)」「縁覚道(えんがくどう)」「仏道(ぶつどう)」の3つがあります。
声聞道は、仏の教えにただひたすら従って、煩悩を遠ざける道です。
縁覚道は、師につかず、自身の中の煩悩を断ち切る道です。
仏道は、自利・利他の菩薩の修行を収めて自らを高めようとする道です。
3、達磨の四聖句
禅をインドから中国に伝えた達磨は、重要な4つの言葉を残しています。
・不立文字(ふりゅうもんじ)・・・文字では伝わりません。悟りの本質は、文字では表せないという意味です。
・教外別伝(きょうげべつでん)・・・真理というのは、経典の内容を飛び越えたところにあるという意味です。
・直指人心(じきしにんしん)・・・あれやこれやと外に目を向けるのではなく、自分の心を見つめることから始めることです。
・見性成仏(けんしょうじょうぶつ)・・・仏になるとは、真実の自己に立ち戻ることです。その気付きのために、坐禅があります。
次に、禅と武士の関係についてご紹介します。
禅宗が中国大陸から日本にやってきたのは鎌倉時代です。
地方に土着した貴族や農民が、自らの一族と土地を守るために武装したのが、武士の発祥だと言われています。
自らの実力によってのし上がった新興勢力である武士たちは、新たな精神的支柱を求めていました。
禅は自らの鍛錬によって心を鍛えるという教えであり、質実剛健で独立心が旺盛だった武士勢力の気風にマッチしました。
ここに、武士と禅の結びつきが生まれました。
執筆者:山本和華子
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