恋愛も仕事もプライベートも、貴族と同じ土俵で戦うことを辞めた話 ~承認欲求と劣等感~

はいみなさんこんにちは。

昨年から私のツイッターアカウントをフォローしてくださってる方はご存知かと思いますが、

私はいつもこんな風に嘆いていました。

「私は資本家の娘と同じ人間なのに、与えられる武器が違うことによって

なぜ私は資本家の娘よりも苦労をしなければならないのか」と。

貧困育ちの私にとって、塾に通える同世代の高校生はみな、貴族に見えました。

教育資金も違う。

与えられるお金と愛の総量がまったく違う。

なのに同じ「人間」として、同じ恋愛市場で戦っていかなきゃいけないし、

同じ学歴社会で戦っていかなきゃいけない。



でも最近思うんですよ。

別に同じ土俵で戦わなくていいんじゃね?

目次

エピソード1:恋愛してもしなくてもどっちでもいい

私の直近のパートナーが、

申し分なく本当に真面目で良い男性だったのですが、

どこまでいっても真面目で良い人だったんですよね。

色んな恋愛をしてきて、最後に理想の男性とついに出会えたと思ったのもつかの間、

そのような感じだったので、

別に恋愛しなくてもいっか、と思うに至りました。

私はパートナーと結ばれる努力をするよりも、観光ガイドになる努力にエネルギーを割きたい。

エピソード2:仕事で頑張ってる自分をアイデンティティにしない

世の中には、「労働を頑張ってるワタシ」を演じる反面、

仕事をしていない人を軽蔑して小馬鹿にするような態度をとる人は多い。

私はそういう生き方は嫌だなと思う。

仕事していてもしていなくても、当人が納得して幸せなら別によくね?って思う。

頑張りたい人は自由に頑張ってればいいけど、それが頑張らない人を卑下する判断材料にはならない。

私はたまたま仕事をする人生を選択しているだけであって、

仕事をしない人生を選択しない人生もアリだと思う。

エピソード3:資本家の娘と同じリングにはあがらない

資本家の娘みたいに、

働かずに不労所得(親の金)で、グアムの海沿いの親の別荘でサングラスをかけた写真を撮影しては、

インスタグラムに投稿してバズりたかった。

ラクして承認欲求を満たしたかった。

調べてみると、毒親に育てられると承認欲求が凄まじく強烈になるらしいです。

愛着障害とか、アダルトチルドレンとか言うらしいです。

私それやんw

なんか、苦しむのはもういいかなって思ってます。

同じリングに上がり続けるだけ、私の敗北が決定する。

リングに上がる上がらない以前に、

張り合う人生じゃなくてよくね?

私が毎日仕事して、帰宅してからは読書して、

日本舞踊の自宅稽古や、茶道のお点前の稽古ができていれば幸せなんじゃなかろうか。


隣の貴族が早慶上智関関同立出身だろうが、私が貧困家庭に生まれたこととは関係が無い。

反対隣の貴族が茶道の師範や僧侶の資格を持っていようが、私が貧困家庭に生まれたこととは関係が無い。

本当の強さって、大金持ちになることでもなけりゃ、玉の輿に乗ることでもない。

与えられた武器と自分で築き上げてきたものの身の丈で、いかに心豊かでいられるか、

なんじゃないかなと思っています。

執筆者:山本和華子

Threads(@wakako_kyoto)もやっています。よかったらフォローしてね♪

『現代人の悩みをスパッと解決する、東洋の教え』という本を出版しました!

今ならキンドルアンリミテッドで無料で読むことが出来ます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次
閉じる