「自己価値の創出」という競争と、「恋愛市場」という土俵から降りる、何も持たない幸せについて

はいみなさんこんにちは。

私は自分の人生で、「自己価値の創出」をかなり重視していました。

自分の価値さえ創出できていれば、愛し愛されるパートナーができる、そう信じていました。

自己価値さえ積み上げていけば、恋愛市場の土俵で優位に戦っていけると。

しかし、自己価値を創出する努力を続けていくうちに、あることに気付くのです。

どんだけ努力したところで、実家の太い娘には勝てないな、と。

実家の太い娘は、親のスネでブランド大学に行き、留学し、世界旅行に行ける。

「ブランド大学」「留学」「世界旅行」というコンテンツは、私にとって、大きな価値でした。

恋愛の優位性は、自己価値の履歴書のキラキラ度合いで決まる、と思っていました。

実家の太さで勝負できる恋愛市場の土俵で、戦うことがバカバカしくなってきました。

そういうわけで、私は「自己価値の創出」という土俵を降り、また、「恋愛市場」という土俵も降りることにしました。

パートナーは作らない。

そういうわけで、私は、キラキラな価値を作るために努力することを辞めることにしました。

「何かを得るための努力」という図式、ゲームから降りる。

というか、私が思っていたキラキラアクセサリーみたいなものって、そもそも本質的な「価値」ではないかもしれない。

本質的な価値って、「今ある生活で、いかに幸せに思えるか」かもしれない。

今までずいぶん引き寄せの法則が好きで学んできたけど、何も引き寄せられなくても私は幸せかもしれないってことに気付いたんですよね。

世間では結婚した方が幸せだの常識みたいなものがあるけれど、

他人の幸せの物差しや勝敗のゲームに自分がわざわざ合わせにいかなくてもいい。

パートナーやお金を持たなくても、今持っているもので生活できていて、いい気分でいられたらそれで幸せだと思う。

あとは、自分の天命が少しずつわかったし(私の場合は、古今東西の森羅万象の知恵を整理・体系づける、

人生をいつからでもやり直して、一生学び続けられる場をつくる)、

その天命を果たしているときの作業が最高に楽しいので、

それを粛々と続けていくのが私の与えられた役割というか、私なりの幸せなんだと思う。




パートナーがいるから幸せ、

結婚しているから幸せ、

留学したから幸せ、

ブランド大学に入学したから幸せ、

世界旅行に行ったから幸せ。

そういう、経験の所有を条件として幸せを感じられるという条件付きの幸せは、

昔はものすごく切望していたけど、

今はもういらないかな。

今は、何も経験してこなかったし、何も得てこなかったけど、

何も持たない生活でもいい気分でいる、

「所有という条件付きの幸福競争ゲーム」から降りる、

好きな作業に没入する、

これが私にとっての幸せなのかなと思っています。

執筆者:山本和華子

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