イスラエル、ガザ地区のハマス、パレスチナ問題と、レヴィナスの「顔」の哲学について

2025年1月15日、パレスチナとガザ地区で戦闘を続けていた、イスラエルとイスラム組織ハマスが、停戦に合意しました。

合意に至った背景にあるのは、「ハマスの孤立化」でした。

2024年10月、イスラエル軍は、ハマスの最高指導者のヤヒヤ・シンワル氏をガザ地区で殺害しました。

さらに、ハマスと共闘して戦っていたレバノンのヒズボラ指導者、ハサン・ナスララ氏を殺害。

そして、イランからヒズボラへの物資の流れなどを支援していたシリアのアサド政権が崩壊しました。

ハマスは長期間にわたる戦闘で弱体化した上、孤立を深めていたのです。

今回は、そもそもなぜこのような悲惨な戦争が起こったのかについて解説していきます。

目次

パレスチナ・イスラエル問題(戦前)

2000年前、もともとユダヤ人の王国がありました。

しかし、その王国はローマ帝国により滅ぼされました。

その後、ユダヤ人は迫害の歴史を辿ることとなりました。

ユダヤ王国のあった跡地に、2000年に渡り、アラブ人(パレスチナ人)が定住していきました。

その間、ユダヤ人は主に金融業で世界の富を集めるようになります。

19世紀、ユダヤ人の間で、「もともとの国に帰ろう」というシオニズム運動が始まりました。

第一次世界大戦で、イギリスは三枚舌外交をおこないます。

1枚目の舌・・・ユダヤ人には、「ユダヤの国を作りましょう」と言う(バルフォア宣言)

2枚目の舌・・・アラブ人には、「オスマン帝国を攻撃してくれたら、独立するときにサポートするよ」と言う(フサイン=マクマホン協定)

3枚目の舌・・・フランス人とロシア人には、オスマン帝国の領土を分割しようと言う(サイクス・ピコ協定)

このイギリスの三枚舌外交により、のちの混乱を招きました。

パレスチナ・イスラエル問題(戦後)

第二次世界大戦後の1947年、国際連合によりパレスチナ分割決議案が出されましたが、当然、納得のいかない人もいます。

そういうわけで、第一次中東戦争が勃発しました。

イスラエル・アメリカ・欧州 VS パレスチナ・アラブ諸国



1957年、パレスチナにファタハという政党が設立されました。

パレスチナ独立を目標とし、隣国ヨルダンを拠点に、イスラエルに対して武装闘争を繰り返していました。

1964年、PLO(パレスチナ解放機構)が設立されます。



1987年、第一次インティファーダが起こります。

「インティファーダ」とは、一斉蜂起のことを指します。

1987年、パレスチナ人が自然発生的に、イスラエル占領地支配に抵抗して一斉に蜂起しました。

この運動の中で、パレスチナ解放を目指すイスラム組織ハマスが創設されました。

パレスチナ・イスラエル問題(ハマス設立後)

アフマド・ヤシンにより、ハマスが設立されました(1987年)。

ハマスは、イスラム国家樹立を目的とした武装組織で、イスラエルとの融和路線に舵を切った、先述のPLOとは対立関係にあります。

ハマスは教育・医療・福祉などの分野で一般民衆への地道な活動を続けたため、パレスチナ人の支持層を拡大していきました。

1993年、イスラエルとPLOの間で、ガザ地区でのパレスチナ人による暫定的な自治の実施に関する協定が結ばれました(オスロ合意)

2000年には第二次インティファーダが起こります。

2004年には、ハマスの創設者であるアフマド・ヤシンが、イスラエル国防軍の空爆により殺害されました。

2007年、ハマスと先述のファタハの対立が激しくなり、ハマスがガザ地区を実行支配することになりました。

2023年10月7日、ハマスがイスラエルへ大規模な攻撃をおこないました。そしてイスラエルは反撃し、開戦に至りました。

レヴィナスの「顔」の哲学について

私はこの一連の問題について、さまざまなメディアから学びました。

そうですね・・・一つの正義の視点からしかものを語れない時事問題の解説者、よくないと思いましたね。

中田敦彦さん、あの人の解説あんまりよくないですね。

あの人、慶應義塾大学という貴族の大学を卒業したにも関わらず、ご自身の解説を分かりやすくするために、「わかりやすい善悪の視点」から解説していて、あれはよくないわ。

イランのこと悪く言いすぎ。

ものごとをわかりやすく説明するためにあえて善悪で語るって、それ小学校の先生のやることですよね。




私はこの問題を紐解いていくにつれて、「これって、レヴィナス(フランスの哲学者)の言っていた「顔」の話じゃん」ということに気付きました。

レヴィナスの提唱した「顔」とは、他者性を意味する概念です。

私中心、「私たちが唯一の正義」の世界観から脱出する、という意味合いです。

日本のメディアでは、どうもイスラム側が悪者に描かれる風潮がありますが、彼らには彼らの言い分があるわけです。

私は常々、「一つの勝者の集団の視点で描かれる正義と善悪の物語に興味が無い」という話をしてきました。

詳しくはコチラの記事にて↓

彼らにもたくさんの言い分があるかと思いますが、その一つに「アラブ圏で石油がとれる」ということが挙げられましょう。

石油がとれるから、外交・経済が強い国に翻弄されがちな歴史を辿ってきました。

事実とマス(大衆)のためのメディアには乖離があるのです。

さてさて、レヴィナスの話に戻しますと、人にはわからないものには対応ができないけれど、「わかる」ことで関係性をもつことができるのです。

人類を大きなただ一つの正義に収斂しようとすると、他者について考えることができなくなってしまいます。

そこで、レヴィナスの「顔」、他者の言い分を知ることで、全体主義を乗り越えることができるのです。

哲学というのは、実践して初めて活きる学問です。

千葉県の貴族高校である渋幕出身のアルファツイッタラーもけたんさんが以前、「哲学は虚学だからこそ学びたい」とポストしていましたが、哲学は虚学ではありません。

日本の貴族出身のお坊ちゃまお嬢様たち、大丈夫か。

そういう私も、ルサンチマンで生きていますけどね。

執筆者:山本和華子


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