この前の記事で、私は「一年中、小学生の夏休みの自由研究をしている感覚で生きている」というお話をしました。

おそらくですが、私は一生、死ぬまで、毎日自由研究する気概でいます。
権力に媚びへつらい、ゴマすり人形をしている限り、人は、己の純粋な「問い」を発することはできません。
私は自分の心のアンテナを研ぎ澄ませて、自分なりの「問い」の心を大切にし続けていこうと思っています。
契約に基づく社会
しかしながら、人というのは、100%子ども心だけで生きていくことはできません。
社会人として、自分の行動と意志決定に責任を持つ必要があります。
全部、好き勝手に生きていけるわけではない。
なぜ私たちは、社会のルールを守る必要があるのでしょうか?
人々が集まって話し合い、合意して秩序を作り出す社会のあり方を、「契約に基づく社会」と言います。
これを「パクタ・スント・セルヴァンダ」と表現する場合もあります。
契約が人間を拘束するという、現在の法秩序の基本ですね。
少しムツカシイお話をしてしまいましたが、要するに、
「私たちが自分たちの意志で決めたことなんだから、それを守りながらお互いにより豊かに生きていきましょうね」という約束事なわけです。
好き勝手にお金稼ぎをしている人
しかしながら、作家業をしているとわかるのですが、
何でも好き勝手に記事を書いてマネタイズをしているkindle作家がいることも事実です。
しかも結構、多い。
彼らは、著作権のルールを知らずに、おそらくは、無自覚に好き勝手に物書きをして稼いでいるのかしら、
と言う風に見受けられます。
まぁそういう感じで、一種のマキャベリズムといいましょうか、
稼げれば何でもいい、手段は選ばない、みたいな人も多いです。
悪事は割に合わない
有名なYoutuberであるリベ大の両学長が言っていたことで、私も同意したことがあるのですが、
「悪事は割に合わない」という言葉があります。
両学長はこれまで、たくさんの大富豪や、それこそ秒速で1億稼ぐみたいな人もたくさん見てきたんじゃないかと思います。
世の中には、分かりやすい例で言えば「闇バイト」がありますが、
悪事をはたらいて手っ取り早く稼ぐという手段は無限に存在するわけです。
しかし、そんなものはすべて、莫大な貸しを社会に作ってしまっていることと同じなんですよね。
私の好きな実業家の一人に、アンドリュー・カーネギーがいるのですが、
(ちなみにデール・カーネギーとは別人です)
彼は繰り返し、「誠実に仕事をするのが一番である」と言っていました。
彼は貧困家庭育ちではありましたが、生きていく上でたくさんの学びと技術と知恵を得て、
大富豪になっていった努力の人です。
彼の生きた姿勢から学ぶことはたくさんあります。
大人として生きるというのは、生きる姿勢が問われているということ
石田礼助さんという実業家の方が、国鉄総裁就任の挨拶の際に、こんなことを仰っていました。
「私は粗にして野だが、卑ではない」
粗かもしれない、野かもしれない、でも、私は卑しい人間にはならない。
大人とは、これまでの経歴や結果以上に、どのような態度や姿勢を大切にして生きているか、が問われているのですね。
執筆者:山本和華子
