私も若い頃は、マキャベリストに憧れていたものです。
マキャベリストとは、一言で言うと「目的のためには手段を選ばない人」のこと。
「マキャベリスト」という言葉は、『君主論』を著したイタリアの政治家、ニコロ・マキャベリが基となっています。
色んな人生経験を積んだ現在、私は、もうマキャベリストではありません。
目的地に向かう道程は、誠実な道でありたいと思っています。
さて今日は、イーロン・マスクとジャック・ドーシーの対比を考察することで、
大志や理念を実現させていく者が、マキャベリストに潰されないための方法について考えてみたいと思います。
イーロン・マスクについて
よく世間でイーロン・マスクのことを「天才」と呼称するのをよく見かけますが、
私はイーロン・マスクのことを、一度たりとも天才だと思ったことはありません。
「ダサイ男だな」っていつも思ってます。
まぁ人それぞれ何を思うかなんて自由ですが、
彼のビジネススタイルやビジネスセンスが、私の感性に全然刺さらない。
2022年、イーロン・マスクはTwitterを買収しました。
その後、Twitterは「X」というダサイ名前に変更され、
ユーザーにとっての改悪が続けられています。
Xは使いづらいものとなりましたが、「一応まだ便利」なので、
私たちは仕方なくXを使い続けています。
おそらくなのですが、イーロン・マスクは「X」を、
マネタイズシステムの一つ、という風にしか認識していないのだろうと思います。
ジャック・ドーシーについて
ジャック・ドーシーは、Twitterの創業者です。
彼がTwitterというシステムを構築することで実現したかったことや、
創りたかった世界というのは複数あるみたいなのですが、
やはり一番大きいのは、「情報の民主化」なんじゃないかなと思います。
情報の民主化でいうと、ジョージ・ソロスの思想とも共通するところがありますね。

ひと昔前では、情報を取り扱える人というのは、テレビ局や新聞社などのマスメディアに勤める、一握りの人たちでした。
ジャック・ドーシーは、「誰もが報道者になれる社会、自由な言論空間を作りたい」という大志と理念のもと、
Twitterというシステムを構築しました。
彼にとってTwitterとは、自分の大志と理念を実現していくためのものであり、マネタイズは二の次でした。
1つの問い
Twitterがイーロン・マスクにより買収されたことで、
私はその時点で、ジャック・ドーシーは「敗北した」と認識しました。
大志や理念を実現させていく者が、マキャベリストに敗北したんだと。
大志や理念を実現させていく者は、どんな戦い方であれば、ゼニ稼ぎにしか興味がない人に潰されないで済むのでしょうか。
益田鈍翁と岡倉天心
少し視点をずらしましょうか。
日本の代表的な数寄者に、益田鈍翁と岡倉天心がいます。
彼らはどちらも日本文化に精通し、そして英語も堪能です。
益田鈍翁の本名は益田孝で、彼は三井物産の創業者です。
岡倉天心は、『茶の本』を著したことでも知られていますね。

ときは明治時代。「廃仏毀釈」で知られる通り、明治時代は、「これまでの日本文化なんて価値が無いし、何の意味もない。壊してしまえ!これからは海外の有益なものをたくさん輸入するべきだ」という風潮がありました。
大衆扇動とは恐ろしいものです。私が世界で一番嫌いなやつです(笑)
自分の頭で考えろよ、といつも思っています。
まぁそういうわけで、明治時代のその空気感を危惧した二人は、どうやって日本の文化を守っていくかを、彼らなりに考えたわけです。
岡倉天心は東京美術学校の校長に就任しますが、自身の考えが周囲になかなか理解されずに退任を余儀なくされました。
そして傷心の末、東京の地を離れました。
一方、益田孝は、日本の物流インフラを創り上げる(三井物産の創業)ことで、財を成します。
そして彼は「大師会」という茶会を創設し、現在でも続いています。
自分の理念、創り上げたい社会を実現させていくには、資金や協力者(理解者)、そして時代に合わせた柔軟な戦略が必要なのです。
私の王子様(推し)が、大きな権力に食われてほしくない
めちゃくちゃドストレートな話をしますが、
大志や理念を実現させていこうとしている私の王子様が、大きな権力に食われてほしくない、
その一心で今、この記事を書いています。
もちろん、私の王子様が、これまでの活動の中で、
たくさんのライバルやアンチによる足の引っぱりをくぐり抜けてきたんだろうと思います。
これからもっと、私の王子様が影響力をつけていくことで、
もっと大きな組織や権力と出会う可能性も出てくるわけです。
そのときに、絶対に呑み込まれてほしくない。
大きな利権の養分として組み込まれてほしくない。
ファンならみんなそう思ってるよ。
何か大きなことを成し遂げたいと思っている人は、
自分の志をしっかりと実現して果たしていくために、
どこかで戦うときがくるし、
その戦いには絶対に勝たなくてはならない。
私がお伝えできることは、易経のお話です。
易経の「乾為天」の「用九」には、「群龍首なきを見る」と書かれています。
たくさんの龍が群がっていて、みんなシェアを奪おうとしている状態ですね。
シェア争いが目的になってはいけない。
中国古典の一つ、『兵法三十六計』の中に、「負けるが勝つ」という言葉があります。
無意味な争いは相手に勝利を譲る方が賢明であり、それが最終的な勝利に繋がる、という意味ですね。
私の王子様にとってシェアの拡大というのは、王子様の大志や理念を実現させるための手段であって、目的ではありません。
シェアの拡大で疲弊しないように気を付けてほしいなと、ファンの私は思っています。
執筆者:山本和華子
