ツイッターにつらつらと文章を書き込んでいたけれど、
長くなったのでこちらにまとめます。
普通一般の家庭に生まれて、みんなと同じ大衆の中でぬくぬくと生きてきた人には絶対にわからない「痛み」というものがある。
それを、高みの見物みたいに、安全なテリトリーで自分の正義感を振りかざして、
さも「私いい事言いました」として無自覚にマイノリティをさらに傷つけるのは、私はそれは違うと思う。
一方で、私はマイノリティ側の人間で、これまでありとあらゆる痛みを経験してきたと共に、
だからこそわかる「本質的に優しい人」とか、
逆に「あーコイツはファッションで、自分のビジネスに箔をつけるためや、好感度を上げるために福祉施設のなんちゃって単発ボランティアとかしてるんやな」とか、そういうのは一瞬でわかる。
自分はマイノリティだとわかってるからこそ、人の優しさに甘えておんぶにだっこにはならないように、ものすごく気をつけてる。
誤解されて傷つけられることもあるけど、だからといって仕返しとかはするつもりない。
人には誰しも、自分の尊厳を大切にして、人さまの尊厳も大切にする。それは人としての基本。
自分を雑に扱ったら、人さまにも雑に扱ってしまう。
まずは自分を大切にする。
人はみな完璧じゃないし、AIでもない。
人は多かれ少なかれ、「弱さ」を持っている。
その「弱さ」といかに正面から対峙できるかも、強さの一つだと思う。
それは、表面的に強がることではない。
自分が弱いから誰かの優しさにつけこむというのも違うと私は思う。
弱くて不完全な私たちだけど、そんな私たちの自立した自由で幸せな生活というのは、
複数の依存先があるということ。
私だったら本の執筆とか推し活とか、旅行とか勉強会とかね。
私も含め、みんな、今日から人生やり直せる。
終わり。
執筆者:山本和華子