明治時代、なぜ「お雇い外国人」は日本に来てくれたのか?外国人を雇う財源は日本のどこから出ていたのか?

はいみなさんこんにちは。

今日は、お雇い外国人にまつわる、さまざまな疑問を解消していきたいと思います。

目次

お雇い外国人とは

「お雇い外国人」とは、明治時代に日本に来て活躍した、外国人の学者や技術者のことです。

当時のお雇い外国人は、かなりの高額な報酬を日本政府から支払われていたそうです。

日本は破格の大金を支払ってまでも、当時の列強から多くを学び、自国を発展させていきたい理由がありました。

【有名なお雇い外国人】

●ボアソナード フランスの法学者

「民法典論争」でおなじみの学者ですね。

明治期の日本においてボアソナードの民法が採用されていたら、もっと日本は幸せだったんじゃないか、と個人的には思っていますw

●ヘボン アメリカの医師

聖書の日本語訳に携わり、「ヘボン式ローマ字」を広めた人物としても知られています。

●クラーク アメリカの教育者

「Boys be ambitious」(少年よ、大志を抱け)でおなじみの人物ですね。

札幌農学校に赴任し、そこでアメリカ式の農業方法を伝えました。

●ベルツ ドイツの医師

ベルツは、日本の温泉を世界に紹介し、特に草津温泉を高く評価したことで知られています。

そういうわけで、群馬県草津町には、「ベルツ記念館」があるそうです。

●フェノロサ アメリカの哲学者・美術史家

今日、日本では岡倉天心と共に活躍した美術史家のイメージが強いですが、

元々フェノロサは、哲学を教えるために来日していたそうです。

なぜ列強の学者たちは日本に来てくれたのか?

当時、日本はまだまだ小国で、列強の国々からすると極東の果ての地というイメージだったのではないでしょうか。

そのような国に、なぜ来てくれたのでしょうか。その動機を探っていきましょう。

19世紀後半は「帝国主義の時代」で、列強は植民地を拡大しつつありました。

同時に、西洋文明の科学や制度を普及させることが、文明国としての使命であるという信念を持っていました。

また、お雇い外国人の多くは、母国ではそれほど地位の高くない学者でした。

しかし日本では、一国の近代化を担う顧問として交代偶を受けることができました。

彼らにとっての「日本行き」は、キャリアアップのチャンスでした。

お雇い外国人を雇う財源は、日本のどこから出ていたのか

明治政府は廃藩置県によって、税制を一元化しました。特に1873年の「地租改正」によって、農地からの地粗収入を安定的に確保しました。

この地租収入が、近代化予算の主軸となりました。

明治政府は、富国強兵、殖産興業の旗印のもと、あらゆる分野に外国人専門家を導入したいという狙いがありました。

列強の学者は、日本などの海外に、自分たちの情報を公開したくないはずでは?

通常、自分たちの国でせっかく開発した鉄道や造船の技術、法制度などのルールや情報は、

海外にそんなに簡単に手渡したくないと思うような気がするんですよね。

しかし、そうでもなかったらしいです。

当時の列強において、科学・産業・教育・法制度などの文明や技術を輸出すること自体が、

自国の威信や名声を高め、影響力を拡大していく方法でした。

日本の近代化を支援することで、欧米的な国際秩序に日本を取り込むという狙いがそこにはありました。

執筆者:山本和華子

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