【死海文書】最古の聖書には何が書かれていたのか? クムランの洞窟で、厳格で禁欲的な生活をしていた人々は何を考え、何を信じていたのだろうか?イエス・キリストとの関係とは?

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死海文書とは

死海文書、ないしは死海写本とは、1946年から1947年にかけて、死海(ヨルダンの海)近くのクムランの洞窟で偶然発見された、古代ユダヤ教の文書群です。

ちなみに「クムラン」とは地名で、死海の北西岸の丘陵地のことです。

死海写本には、旧約聖書や新約聖書に書かれていない儀式や規則、黙示文学など多岐にわたる内容が記されています。

クムラン写本のほとんどがヘブライ語、約20%がアラム語で、ごくわずかにギリシャ語の写本があります。

クムラン宗団とは?

クムラン宗団とは、紀元前2世紀頃から紀元後1世紀頃まで、クムランの洞窟で共同生活を営んでいたユダヤ教の一派、エッセネ派に属していた集団で、彼らが死海文書を残しました。

クムラン宗団は、エッセネ派の中でも最も厳格な集団だったと言われています。

ちなみに、エッセネ派から、イエス・キリストらしき人物が登場するという説もあります(松岡,2006)。

クムラン宗団の人々は、どんな思想と教義を信じていたのだろうか?

●この世界の救済は、まったく新しい天と地との出現をもって語られる。

●この世界は、人間の罪責の重さに耐え得ない。

●罪悪の最終的な裁決は、終末時の神の審判に委ねられる。

●創造から終末に至る歴史全体がいくつかの時期に区分され、秘儀的な教えが選ばれた人に、排他的に啓示される(これを黙示と呼ぶ)。

●神は知恵をもってこの世界を創造した。この知恵こそ、賢者は探求しなければならない。

クムラン宗団の人々は、自分たちの生きている時代を、終末直前の時代とみなしていました。

そして、来たるべき終末に備えてトーラーを学び、身を清めて準備をしていたと考えられています。

死海文書を学んで思ったこと

東洋や日本の人々との考え方や世界観とは、大きく違うな~~~と思いながら学びました(笑)

日本でも、平安時代末期には「末法思想」が貴族を中心に信じられましたが、どこか「誰か私たちを救っておくれよ」というような思想で、藁にもすがる思いで「南無阿弥陀仏・・・」と唱え続けていたところがあります。

ただ、それ以前に、日本にはもともと「千代に八千代に、私たちの国が続いてほしい」未来を願う世界観があるかと思います。

また、日本では現代でも「八百万の神(deities)」といって、神さまは山や川、岩などに遍在していると考えます。

なので、「絶対善(神)があるなら悪(?)があるはずである」という、ゾロアスター教にも似た二元論とも、

やっぱり違うな~と思ったりもしました。

執筆者:山本和華子

【参考文献】

土岐健治『死海写本 「最古の聖書」を読む』 講談社

松岡正剛『17歳のための世界と日本の見方』 春秋社

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