東洋思想『老子』と人間の反脆弱性、ダーウィンの進化論と人間の変容性について ~しなやかに生き延びるということ~

私たち人間は、どんな風に生きていくことが「推奨されているのか」、について書いていきますね。

目次

東洋思想『老子』

東洋思想で有名な書物の一つに、『老子』があります。

『老子』の第52章に、「柔を守るを強という」という言葉が書かれています。

どういう意味かというと、「弱さを保つことを、真の強さと呼ぶのですよ」ということです。

この言葉と似た言葉に、「柳に雪折れなし」というものがあります。

これは、「柳の枝はしなやかで、雪が降り積もっても折れない」という意味です。

つまり、剛直なよりも、しなやかで柔軟性のあるものの方が苦境によく耐えることができる、という意味なのですね。

パスカル「人間は考える葦である」

実は、先ほどの老子のお話に似たニュアンスの言葉が、西洋哲学にも存在します。

フランスの哲学者であるパスカルが、『パンセ』という書物に記した言葉に、

「人間は一本の葦に過ぎない。しかしそれは、考える葦である」があります。

ちなみにパスカルの生きた時代は17世紀で、科学革命が起こった時代でもありました。

このパスカルの言葉は、

「人間は、葦のように弱い存在だけれど、思考をすることで、他の生物とは異なる尊厳を持つ」

ということを表しています。

つまり、人間は、弱い。でも、

①『老子』しなやかに生きていく

②パスカル『パンセ』思考をする

ことで、誇り高く生きていくことが出来る、ということですね。

人間の反脆弱性

現在もご存命のアメリカ人の哲学者、ナシーム・ニコラス・タレブの名著に、

『反脆弱性』というものがあります。

ちなみに彼は、レバノン系アメリカ人らしいです。

レバノン!!!!フェニキア!!!!



さて。

「脆弱」という単語は一般に、「変動に弱い」という意味を持ちます。

この言葉の対義語は、一見「頑健」(変動に動じない)のように思えますが、それは少し違います。

本質的には、「反脆弱」(変動に適応できる)という単語(antifragile)が該当します。

人は、権威のある機関や組織から「ありがたいお言葉」をいただき、確実な安心感を得ようとしがちです。

しかし、その安心感に甘えて、その後自分で何かを問うて考えることをしなくなってしまうというのは、

次に来たる変動には、適応できなくなってしまう(脆弱性)ことに繋がるのですね。


人は、不確実性(変動のこと)を避けることができません。

だから、むしろ不確実性を受け入れて、柔軟に対応していくのが吉、ということなのですね。

つまり、人間は弱いからこそ、

①『老子』しなやかに生きていく

②パスカル『パンセ』思考をする

その上で、

③タレブ『反脆弱性』不確実性を受け入れる

ことで、イバラのようなこの世を生き延びていくのですね。

ダーウィンの進化論

ちなみにですが、私は別に、ホモ・サピエンス(私たち人間のこと)の遺伝子が優秀だったかとか、

誰よりも誇り高い生き方をしてきたとか、そんなことは思ってません。

むしろ、ネアンデルタール人の方が、もうちょっとなんか、多様で豊かな感性を持っていたんじゃないか、

とすら考えています。

ホモ・サピエンスがたまたま生き残れたのは、単に性欲がバカ強かったからってだけだったんじゃないかなと思っています。

絶滅してもいいから、一度は私もネアンデルタール人として生まれて、

ネアンデルタール人として、芸術に夢中になったり、知的好奇心の華を咲かせたりしてみたかったですね。

ダーウィンは19世紀のイギリス人の生物学者で、『種の起源』という書物に、

「生き残ることができるのは、(強い者ではなく)変化できる者である」

と書きました。

先ほどの『反脆弱性』の話と繋げると、

外部環境が変化(不確実性)するのなら、我々も変化していくべき、ということになりますね。




人は、「常にジリジリと変化し続け、問い続け、ジリジリと考えて学び続け、行動し続ける」ことが大切なのですね。

人間は弱いからこそ、

①『老子』しなやかに生きていく

②パスカル『パンセ』思考をする

その上で、

③タレブ『反脆弱性』不確実性を受け入れる

外部環境が不確実(変化する)だからこそ

④ダーウィン『種の起源』我々も変化する

ということになります。

執筆者:山本和華子

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