中国の書道史 ~甲骨文、篆書、隷書、礼器碑、曹全碑、褚遂良、王羲之~

第1章 殷~漢時代

殷~周時代(BC13世紀~BC3世紀)には、青銅器に文字が刻まれていました。

これを金文(きんぶん)といいます。

秦・漢代には、石に刻まれた文字とともに、木簡・竹簡(ちっかん)など、肉筆の資料も多数残されています。

甲骨文は、現存する中国最古の文字です。

石鼓文(せっこぶん)は、中国最古の石刻文字です。刻まれた文章は主に、王の狩猟の光景を詠んだ四言句の韻文です。

石鼓文は、篆書(てんしょ)の基本筆法が備わっていることから、古くから手本として重要視されてきました。

篆書とは、隷書(れいしょ)以前に中国各地で使われた文字のすべてを指します。文字の形は縦に長く曲線です。

泰山刻石(たいざんこくせき)は、秦の始皇帝の功績を讃えるために建てられた記念碑です。

泰山刻石は、各地のさまざまな文字を整理して簡略化した篆書(小篆)で書かれています。

礼器碑(らいきひ)は、隷書(れいしょ)の完成美を示す八分隷(はっぷんれい)の最盛期に書かれました。

隷書は、紀元前3世紀頃、篆書に代わる簡略な書体として誕生し、漢代に公用書体とされました。

礼器碑は、隷書の最高の手本の一つとされています。

その内容は、韓勅(かんちょく)という人物が孔子廟(びょう)を修理し、祭儀用の礼器をととのえた功績をたたえたものです。

曹全碑(そうぜんひ)は、礼器碑とともに八分隷の典型の一つとして知られています。内容は、曹全という人物の様々な功績をたたえたものです。

第2章 三国時代~隋時代

南北朝時代は、北では仏教が、南では道教が盛んでした。そんな文化の違いが、文字にも影響を与え、それぞれ違った書きぶりが発達しました。

魔訶般若波羅密教は、後漢の時代(2~3世紀)、経典の翻訳が盛んになり、仏教の信仰が普及しました。

後漢は、書体が篆書や隷書から、楷書・行書・草書へと変わる過渡期にあたり、写経の流行が楷書の発達を促したと言われています。

十七帖 王羲之(おうぎし)

王羲之は、「書聖」とたたえられています。彼は名門貴族の出身で、順調に役人の道を歩みましたが、53歳の頃に官を辞し、その後は悠々自適の生活を送りました。

第3章 唐・五代十国時代

孔子廟堂碑(こうしびょうどうひ) 虞世南(ぐせいなん)

628年、唐の皇帝、太宗(たいそう)は、文教復興のために、長安の孔子廟を改修しました。

その完成を記念して建てられたのが、この孔子廟堂碑です。

九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい) 欧陽詢(おうようじゅん)

632年の夏、唐の皇帝太宗が、九成宮と名付けられた離宮に訪れたとき、そこから清水が湧き出ているのを発見し、その記念として九成宮醴泉銘が書かれました。

雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ) 褚遂良(ちょすいりょう)

唐の太宗は、玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が苦難の末に、インドから仏典を持ち帰って広めた功績をたたえ、大雁塔(だいがんとう)に記念碑を建てたのが、この作品です。

第4章 宋・元時代

李太白仙詩巻(りたいはくせんしかん) 蘇軾(そしょく)

この作品は、李白という詩人の作といわれる詩、2首を行書で書いたものです。

伏波神祠詩巻(ふくはしんししかん) 黄庭堅(こうていけん)

この作品は、水難除けを祈願して書いたものと言われています。

執筆者:山本和華子

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