はいみなさんこんにちは。
昨今、「教養としての〇〇」という本が流行していますね。
私もその手の本はすごく大好きで、入門書として、
「教養としてのワイン」「教養としてのコンピューターサイエンス講義」「仕事に効く教養としての世界史」「教養としての認知科学」「13歳からのアート思考」「知的教養日本美術鑑賞」は一通り読みました。
それらの本は、知的快楽としてはとても楽しいものでした。
そして最近読んだ本が、「教養としての落語」。
読んでからというものの、落語の魅力にとり付かれている次第であります。
いやはや、落語は、沼です。
今から、落語は私にとってどんな風に沼なのか、つらつらと書いていきましょう。
「教養としての落語」には、落語の発祥者、安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)という人物の名前が載っていました。
誰ですか~~~~wwww
私、調べました、安楽庵策伝のことを。
安楽庵策伝は、戦国時代から江戸時代前期にかけてのお坊さんです。
当時、お坊さんは、仏教の教えをわかりやすく、そして面白くお話しする必要がありました。
そこから、落語が出来てくるわけですが、今日は彼の違う顔の話をしたいと思います。
1623年、彼は、塔頭竹林院を創りそこに隠居しました。
そして、その境内の茶室、安楽庵に入って数寄三昧の身の上となりました。
そう、彼は、落語の発祥者という顔やお坊さんの顔だけでなく、茶人の顔、そして数寄者の顔も持ち合わせていたのですね。
そしてここからがもっと面白い話。
茶人の小堀遠州とめっちゃ仲良かったらしいですよ。
え~~~~!!!!
マジか!
安楽庵策伝、誓願寺というお寺に勤めていた時、小堀遠州に茶室を作ってもらってたそうです。
めっちゃ仲ええやんw
さらに、彼は美濃の金森氏(金森宗和の筋ですね)の生まれで、古田織部に茶を学んだそうです。
ドップリ茶人じゃん。。。
今まで、「主人を笑かす人物としての安楽庵策伝」という像が独り歩きしてしまい、彼の本来の人物像がぼんやりしていたのかもしれません。
当時、一流の茶人になるためには、単に茶道の奥義を究めるだけではなく、はなし上手でなければなりませんでした。
そういう人物を̪「御咄の衆」と呼ぶのですが、金森長近(安楽庵策伝の兄)、織田有楽(織田信長の弟)、古田織部、道阿弥などはいずれも秀吉の「御咄の衆」だったそうです。
ビップかよ、みんなビップかよ。。。
こんな風に見ていくと、「落語」という概念も、脱構築して再構築していきそうですね。
引用文献:関山和夫著『安楽庵策伝和尚の生涯』
最後に、ジャズと落語の仲良し事情について、おまけ話をしたいと思います。
まず、あなたは、ジャズの曲が、曲たらしめてるものって、何だと思います?
ベースのコードだと思いますか?
メロディラインだと思いますか?
ここの問いを頭のすみっこに入れて、読み進めていきましょう。
ジャズって、楽典という理論武装をしまくったところで、
面白味の無い曲になりますし、逆に、崩し過ぎると駄作になってしまいます。
その間の妙のバランスを取るのが、ジャズというものなのかなと思っています。
そのジャズのあり方を確立したのが、サックス奏者のチャーリーパーカーだったのかなと思います。
落語もそうだと思います。
古典落語の演目を、伝統を遵守する形だけで語るよりも、
自分の言葉で語ってる落語家の方が、面白いと思うのと同じだと思います。
「バランスの妙」という考え方って面白くて、
アートの世界なんかでもそうなんですけど、
「醜」のギリギリ一歩手前の「美」を表現する作品は、
本当に深遠で趣深いです。
ジャズの楽しみって、メロディラインを覚えることでは無い、と私は思っています。
幹(曲を形作る最低限のメロディラインの形)から派生した枝や葉(アレンジやアドリブ)がどう面白いかを聴くのがジャズの醍醐味かなと思います。
また、ジャズバーって、演奏者とリスナーのグルーヴ感をすごく大事にするじゃないですか。
それと同じように、落語も、落語家とお客さんの関係性で成り立つ芸能なのかなと思います。
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