本質的な先祖供養、子孫繁栄と、自分の宿命、天命の話

私は自分の子どもを作らない(自分の遺伝子を残さない)って決めてから、「繁栄」って言葉にすごく苦手意識がありました。

しかし、自分の仕事や活動が、人類の繁栄の応援をしているんだと気付いてからは、私も「繁栄の種」の一部なんだと気楽に生きられるようになりました。

先祖供養もそう。私は長年、先祖供養とは???と疑問でしたが、大伴家持も有間皇子も長屋王も、一休宗純も金森宗和も本阿弥光悦も、なんならアンドリュー・カーネギーもみんな、私のご先祖だとわかれば、先祖供養の本当の意味もわかる。

我々人類は、先祖供養とお子孫繁栄を介して、つなげ、伝えていくのです。それは遺伝子でも家父長制でも血縁でもない。思いと存在と歴史を伝えるのです。




私たちは得手不得手があります。私はその得手不得手は、神さまからの采配、贈り物(Gift)だと思っています。その神さまから授けられた刀を上手く使いこなすために、努力が必要なのです。

私はなんのために貧困家庭、機能不全家族のもとに生まれなきゃいけなかったのでしょうか。

親のスネで世界旅行に行くような、親のスネで自己価値を積み重ねていける女と、なぜ同じ地球で自己価値の証明を戦っていかなければならないのだろうか。





私は幸運にも、文字が読める。

親から学んだことなど何一つなくても、古今東西の言葉を読んで学ぶことができました。

それで、菜根譚、アンドリュー・カーネギー、渋沢栄一の言葉に出会って、私は変わっていけたのです。

貧困家庭や機能不全家族で悩んできた方々に、一生学び続けられる環境と社会を作り提供することが自分の天命であると気付きました。

そのための、神さまからの試練だったのでしょう。

「誠実」と「利他」。

神さまからの試練と采配を受け取り、社会に価値を還元していくのです。




宋世羅さんというユーチューバーの動画で、「生きざま」って結構大事だよという話があって、非常に納得しました。

医者の娘が親のスネで世界旅行に行って、親のスネで自己価値のゲタを履くことができる女に嫉妬したところで、私の日常は 何も変わらない。むしろ、嫉妬し続けているメンタルがものすごくダサい。

自分がやるべきことは、自分でわかっている。同じ日常を生きるのであれば、粛々と英語学習するしか道は開かない。

私は私のシマで生きるのである。




私は、学ぶことは愛だと思っています。

学べる環境や社会を提供していくのも愛だと思っています。

執筆者:山本和華子

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