私は以前、『歴史をたどる、プチ旅行』という本を出版しました。
私は旅が好きです。
20代前半の頃は、旅行先のキラキラした写真を撮影して、SNSに投稿して承認欲求を満たすために旅行をしていましたが、
早々に、それには飽き足らなくなりました。
私は元々、人類の歩んできた歴史に関心があり、その人類の辿ってきた道を知るために、
いつかは世界を巡りたいと思っています。
人類が旅をしてきた理由
そもそも人類は、ほかの生物とは異なり、旅が好きです。
好き、というか、たぶん、生存戦略かな。
地球上で気候変動や乾燥化、飢饉などが起こるたびに、人は移動し、新しい土地を開拓してきました。
文明が発展してからは、シルクロードでの交易や航海による貿易などで、
人々はさらに資源の活用と知恵を発達させていきました。
また、古今東西の哲学者、宗教家、芸術家は、「自分とは何か」「世界とは何か」を問い続けるために、旅を続けました。
あるいは、人さまに愛を施し、恵みを分け与え、救うためにも、旅を続けました。
具体的には、イエス・キリストの生きた時代は、ユダヤの世界だったのですが(イエス自身もユダヤ人)、
ユダヤ教というのは規則がとても多く、物理的に貧しい人々は日々の生活で精一杯で、
ユダヤ教の教えを忠実に守る経済的余裕がなかったわけです。
イエスは、そういう人々に、愛を施し、恵みを分け与え、救いました。
人は長い歴史の中で、たくさんの旅をしてきて、そしてその動機や理由はたくさんあったわけです。
人はいつか死ぬ
もう一つ、イエスのお話をします。
『トマスによる福音書』には、こんなことが書かれています。
【42】イエスが言った、「過ぎ去り行く者となりなさい。」
これはどういうことかというと、目的(死)に向かって、「旅行く者」になりなさい、ということです。
人はみないつかは死ぬのに、なぜ私たちは生きていかなければならないのでしょうね。
私もこれまでの人生、5000兆回「自分は生まれてくるべきではなかった」と思ってきた側の人間なので、
すごくその気持ちはわかります。
日本でサルコが合法になったら、私もその先、生き続けるか死を選択するのか、自分でもわからない。
それくらい、私は「己の死」をすごく身近に感じながら生きています。
ただぼんやりと呑気に生きていけるほど、感性の網目の粗い人間ではない。
ただ一つ言えることは、私は、そのような、「生きていくのか、今自殺をするのか、その瀬戸際ですごく悩んでいる」という方のそばにはいたいなと思います。そういう人の言葉なら、聴くことができる。
余談ですが、人は、その人ひとりで人類全員救えるわけではないと、私は思っています。
その人がどういう人の痛みに寄り添える人なのか、そういうところが関係してくるのかなと思っています。
だから私は、万人受けするような、綺麗事ばかり言ってマウント取ってくる人は嫌いです。
正義は複数存在する
とある国立大学で教鞭を取っている国際政治学者の方が書いた、国際政治入門書をこの前読んだのですが、
「人類の正義というのは一つに収斂していく」と書かれてありました。
「そんなわけないだろう!」と私は大きくツッコんでしまいました。
いや、むしろ、専門家の間では、「人の正義というのは一つに収斂していく」というのは、常識なのだろうか???
でも私は、私なりに学びを続けていくなかで、やっぱり、「そんなわけないだろう!」と思います。
宗教によってとか、その地域の生活文化とか、温度や湿度、高度などの環境によってとか、
人によって価値観も考え方も、誇りに思うことや、大切にしていることとかも変わってくると私は思っています。
私たちはなんとなく生きているだけだと、ニュースなどのメディアが作ったわかりやすい善悪の縮図を妄信しがちですが、
ニュースで「悪」だと印象操作している対象にも、言い分はあるんですよ。

そういう意味においても、私たちは旅をして、実際に現地に行って、その地に生きる人の話を聞き続ける必要があるのです。
なぜ私は旅を続けるのか
さて。閑話休題。
人が旅を続けるのにはたくさんの理由があるかと思います。
なぜ私は旅を続けるのでしょうか。
先ほど紹介した拙著の「はじめに」にも書きましたが、私は日本史の学びを続けていくなかで、
「敗北していった民族の声」に耳を傾けることで見えてくる歴史の真実を知ったからなんですよね。
「日本書紀」は、日本のことが書かれているにも関わらず、漢文で書かれました。
これは、岡倉天心が『茶の本』を英語で執筆した理由と同じで、対外的に書かれたので漢文で書かれたわけです。
要するに、「日本ってこういう国ですよ~」という紹介文だったけです。
だから、「日本って、強い国なんだぞ!」ということを強調する必要がありました。
なので、日本国内での部族争いで覇権を取った民族が、都合のいいように書いたんです。
まぁそんなのは、世界中どこの歴史書もそうです。日本だけじゃないです。
私はその、部族争いで敗北していった民族の声を聴くのが、好きです。
だから、旅を続けています。
チームラボの猪子寿之さんのお話
私の好きな実業家に、猪子寿之さんがいます。
そうです、チームラボの創業者。
私は学生時代の頃から、猪子さんのインタビュー記事を読むのが大好きでした。
猪子さんの言葉って、本当に、猪子さんにしか生み出せない世界観ですよね。大好きです。
猪子さんは以前、何かのインタビューでこんなことを言っていました。
「僕はね~、最近のWeb3とかVRとか、あんまり興味わかなくてね。
あんなのは、頭の良い人たちがやればいいと思ってるよ。
人はさ、歩いて、身体を動かすことで初めて得られる「Something」をね、大切にしていきたいんです」
私はこのインタビュー記事を読んで、「めちゃめちゃわかる!」と思いました。
例えば、岡山県の温羅伝説を知りたいとき、あの吉備の山道を実際に歩くわけです。
実際に山道を登って、「そうか、彼らはここに住んでいたんだな」と身体で実感するわけです。
私の王子様が旅人だから
なんでこんなに長々と、私は旅の話なんてしてるんでしょうね。
そりゃあ!私の王子様が旅人だからですよ!
そうじゃなかったらこんなに長い記事、書かん!!!
彼が旅人じゃなかったら、100%、私は彼を推しにしてません。
私の王子様は、世界中を旅してきて、きっとこれからも旅を続けるんだろうなと思います。
現代人は、コスパやタイパを重視したり、すぐに答えをもらいたがったり、最短最速で目的地に到着したがったりしがちですね。
でも、どうなんでしょう?
歩む過程や道程、自分なりの答えを見出すまでの学びや考えることそのものが、「生きる」ということなのではないでしょうか?
執筆者:山本和華子
