イギリス
1672年、イギリスではチャーチル2世がデフォルト(債務不履行)に陥りました。
しかし一方で、イギリス東インド会社株は高いリターン(投資利益)を出していました。
この時期のイギリスでは、政府は債務に苦しんでいましたが、民間経済は元気だったのです。
1711年、イギリスでは南海会社が株式を募集しました。
南海会社は、南アメリカとの奴隷貿易の独占を目的としていましたが、
同時に政府債務の処理もおこなっていました。
18世紀のイギリスの証券市場では、当時発行されていた雑多な国債を整理して、1つにまとめ直していました。
1749年、それまで発行されていた各種国債を統合し、それはコンソル国債と呼ばれました。
ちなみにこの時期、日本では大政奉還があり、アメリカではロシアからアラスカが購入され、
パリでは万国博覧会が開催されるというように、色々な動きがありました。
ナポレオン戦争後、ヨーロッパの土地はぐちゃぐちゃでした。
そういうわけでナポレオン戦争後、各国の復興資金はロンドン市場において、
ポンド建て公債として調達されました。
ロンドンはこの時期からすでに、国債金融市場の中心として機能していました。



アメリカ
19世紀、アメリカでは多数の鉄道会社が設立され、それに伴い鉄道証券が大量に発行されるようになります。
この時期、アメリカは南北に二分しており、南北戦争が始まっていました。
ニューヨーク証券取引所は、合衆国連邦政府(北軍)を支持しました。
連邦政府は、軍資金調達のため、国債を売りたいと考えていました。
当時のプライベート・バンカーだったジェイ・クックは、
州民に対して愛国心を訴えることで、北軍のペンシルバニア州の州債を売りさばきました。
しかしジェイ・クックは、1873年、ノーザン・パシフィック鉄道債を抱え込んだまま、倒産してしまいました。
第一次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパの国々は、外国債をニューヨーク市場で募集しました。
これにより、アメリカは債務国から債権国へと変貌を遂げました。
国際金融の中心地は、第一次世界大戦をきっかけに、ロンドンのシティから、
ニューヨークのウォール街へと移動しました。
アメリカ政府は、自由公債を発行しました。これにより、証券保有の大衆化が一気に進みました。
しかし1929年、ウォール街で大暴落が起きました。
これを機に、証券取引には、何らかの規制が必要であるとのコンセンサスが生まれました。
要するに、あまり金融のことが分からない一般市民に対して、
何でもかんでも金融商品を売りつけるのはよろしくない、という合意が生まれたということです。


執筆者:山本和華子
参考文献 板谷敏彦著『金融の世界史』新潮社

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