古代ギリシャの経済の歴史

紀元前8世紀、ギリシャでは社会が形成されていきました。

ギリシャは土地がやせており、穀物を収穫することができず、オリーブ畑やブドウ畑を運営していました。

ギリシャ人はオリーブオイルやワインを、オリエント地域の小麦と交換し、エーゲ海経由で活発に交易していました。

当時、オリエント地域ではアッシリアという軍事政権が統一王国を樹立していました。

ギリシャとオリエントのエーゲ海交易が発展するとともに、リディア王国にて歴史上初めての鋳造貨幣が現れます。

ギリシャとオリエントの中間に位置するアナトリア半島のリディア王国が鋳造貨幣を生み出したことは、歴史の必然だったと言えるでしょう。

貨幣はリディア王国から波及して、大きな貨幣経済圏を形成しました。

紀元前6世紀、ギリシャ各地でミレトス、アテネ、スパルタ、テーベなどの諸ポリスが興隆します。

また同じころ、アケメネス朝ペルシャが全オリエントを統一しました。

ギリシャのアテネで紀元前6世紀、ラウレイオン銀山の組織的な発掘がはじまり、独自の通貨ドラクマが鋳造されます。

アテネは銀山を持つことで、貨幣供給都市として活躍しました。

アテネの政治家テミストクレスは、貧困層を軍船の漕ぎ手として雇い入れます。

雇用の資金は新たな産銀でまかないました。そうすることで、ギリシャ海軍の増強がはかられていきました。

そして紀元前480年、アテネ沖のサラミスの海戦で、ギリシャ海軍はペルシャ海軍に勝利します。

ギリシャの勝利は豊富な産銀によって得られた資金力・経済力の勝利だったと言えるでしょう。

執筆者:山本和華子



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