はいみなさんこんにちは。
今日は、岡田暁生著『音楽の聴き方』を要約していきたいと思います。
大多数の人にとって音楽を聴く最大の喜びは、他の人々と体験を共有し、心を通わせ合うことにありましょう。
音楽の文化的背景を意識化し、整理してみることが、この本の目的であります。
音楽を聴いた感想というものは、どこかぼんやりしていて掴みづらい傾向にあるかと思います。
そこで、自分自身の音楽の聴き方について、いくらか自覚的になることにより、もっと楽しく音楽と付き合うことができるのではないでしょうか。
ある芸術作品が自分の感受性を振るわせられるか否かは、自分がその作品をすでに自分の中に持っているかどうかにかかっている、という考え方があります。
自分の感性の受信機の中にあらかじめセットされていない刺激に対して、人はほとんど反応することができません。
例えば、美術館に行ったときに点描画が展示されていた場合、それについて知らなければ、「ふーん」で終わってしまうかもしれないが、自分の中に、「それがスーラの絵で、印象派の時代に色彩革命が起こり・・・」というような知識が自分の中にあれば、「なるほどこれがスーラの点描画であるか」と、反応することができるということです。
私たちの心の中には「内なる図書館」があり、それは相性の良し悪しを規定する感性の受信機なのです。
そしてその内なる図書館とは、自分と周囲環境の関わりの歴史にほかなりません。
ただし、今まで言ってきたような、「自分の中に見る型、聴く型」というようなものが無い、そういうものを突き抜けた、絶対的な価値の啓示というものも、確かに存在します。
芸術がもたらす戦慄は、あらゆるエクスタシー経験の常として、本質において身体的なものなのです。
人生観が変わってしまうような究極の音楽体験とは、常に不意打ちであり、戦慄であり、畏怖なのです。
クラシック音楽を聴く喜びのひとつは、自分なりのいくつかの名曲を持ち、自分なりの何人かの名演奏家を持つことにあるのではないでしょうか。
自分だけの「引き出し」を持つことによって、その人の音楽世界は独自の広がりを持ち、深みを持つようになっていくのです。
ところで、ドイツではビールを「飲む」文化は、そのビールを「語る」文化とセットで育まれてきました。
非言語的な文化はすべからく、それについて語る言語文化と一緒に育まれるのです。
それと同じように、西欧では音楽文化も、「すること」と「語ること」がセットになって育まれてきました。
本書では、さらに指揮者の使う言葉や、楽器は演奏して初めてわかることがある、という話にも言及しています。
もっと詳しく知りたい方は、本書を手に取って読むことをオススメします。
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