人間の心と芸術の関係
人類以外の生物は、妄想を抱きません。
妄想とは、心の内面で考えたことと外界の現実が、対応関係を見出せない状態のことを指します。
たとえばミミズは、ミミズの世界という小さい限定のなかで生きています。
しかし人類は、流動的な心が自由な運動を始めました。
自由な運動とはつまり、外の現実と心の内面世界とが対応関係をもたないまでも、私たち人類は心の内面生活を持つことができるようになった、ということです。
宗教と芸術の根源はひとつである、と言われることがありますが、その根源とは、超越性を備えた流動する心にほかなりません。
流動する心を備えた人間は、動物と違って狂いやすい。
外の現実世界をつくる、限界を超えた心の活動が可能になるのと引き換えに、幻想性や妄動が絶え間なく発生しています。
人間の心の働きは、現実との対応がなくとも、自由に活動することが出来ます。つまり抽象的なことでも自在に考えられるようになったのです。
流動する心の働きと一体になった表現技術が、芸術作品を生み出しました。芸術は、人類としての本質に触れる創造の行為そのものです。

仏教、ブッダのルーツについて
ブッダが生まれたのは、今でいうところのネパールです。
そこに住むシャーキャ族は、インドの支配階級だったアーリア人とは違うルーツ(文明)をもつアジア人でした。
そのシャーキャ族では、ブッダの7世代も前から彼の思想と言われてきたものを聖者たちによって語られていました。
つまり、ブッダとは、自分の考えを発信したのではなく、思想を受け継いで発信した、ということになります。

ホモ・サピエンスの比喩の能力について
ホモ・サピエンスの脳はネアンデルタール人の脳より容量が小さくなりました。
ネアンデルタール人のつくった「ルヴァロア技法」による石器のすばらしさには目を見張るものがあります。
それに対して新人は石器では大した才能を発揮できませんでした。
しかしホモ・サピエンスは、比喩の能力を持っていたので、ものごとを別のことで表現する「象徴」という概念を生み出し、それを用いて芸術を作り、神話を語り始めたのです。

日本の「無縁所」の歴史
平泉澄という学者は、対馬にある「天童地」という深い森の中の聖地が、
かつてはアジール(聖域・無縁所)にほかならなかったと考えました。
そこは、天童法師という法師集団によって守られていました。
彼らは、みずから世俗の縁を断ち切って、その森の中の聖地に集まって修行していました。
天童地は、無縁の原理により出来上がり、世俗の権力も法律も効力を及ぼすことはありませんでした。
もっと詳しく知りたい方は、本書を手に取って読むことをオススメします。



