単一民族国家として収斂していった日本
日本人は、やたら同調圧力というか、「みんな一緒」だと安心する傾向がある。
みんなソメイヨシノが好きなら安心するとか。
長らく日本は単一民族国家だと信じられてきたこととか。
何もかもが「単一」であることが日本の伝統文化であるとする節すらある。
しかし、桜が愛でられるようになったのは平安時代以降で、
万葉集の時代は、もっぱら梅が愛でられていた。
弥生時代以前、日本に稲作が輸入される前はさまざまなものを食べていたし、
コメを原料とした日本酒がうまれる前は、アワやヒエなどでお酒が造られていた。
平安時代は藤原氏一強だったが、それ以前は、あまたの豪族が百花繚乱だった。
日本はいつしか、藤原民族一辺倒に収斂していった。
長江文明と稲作文化
さて。
私は、稲作は中臣鎌足が海外から輸入し、
己の権力を広めて統一させるために日本列島に普及させたのだと思っていた。
しかし、実際は違うらしい。
これまでの通説では、弥生文化の始まりは朝鮮半島経由とされていたが、
その通説は最新の研究では否定されつつあるそうだ。
日本の弥生文化を形作ったのは、長江文明を築いた人々である可能性が高いそうだ。
春秋戦国時代の頃、もともと長江流域にいた人々は、漢民族によって追い出され、
その一部が日本列島に辿り着いたとのこと。
日本の天孫降臨神話が九州にあるのは、長江の人々が九州にやってきて、
彼らが天つ神系になったのではないか。
ちょうど先日、私は九州の宇佐八幡について調べる機会があったのだが、
宇佐八幡ももしかしたら、長江由来なのかもしれない。
宇佐八幡と「依代」の概念
余談だが、「八幡」というのは、「8つの旗」という意味で、
その「旗」というのは、依代を意味していたそうだ。
もしかしたら、「依代」という概念は、長江由来なのかもしれない。
もっぱら、縄文文化の信仰というのは、アニミズム、八百万の神、
岩そのものが神さま、山そのものが神さま、という考え方で、
「岩が神さまのみたまの媒体となる」「山が神さまのみたまの媒体となる」という考え方ではないから。
(これは私の仮説なので、一般的な学説ではありません)
話を戻すと、日本のアマテラスは弥生系だと考えられているそうだ。
そういうわけで、稲作が日本列島に広まったのは長江の人々のおかげであり、
中臣氏が、己の権力を示すために海外から輸入してきたものではないわけである。
執筆者:山本和華子
参考文献 洋泉社『環境と文明の世界史』
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