親に虐待された私が、それでも自分を愛して、先祖供養についてもあれこれ考える話

私は極度のメンヘラである。

医学用語で、「境界性パーソナリティ障害」というらしい。

不安・満たされない・寂しい・何を食べても満腹にならないなどの感情の嵐に振り回されることがよくある。

そういうときは、

「あー私の扁桃体がブッ壊れているから、神経伝達物質が今日もバグを起こしてるなー」と

客観的に観察して、その感情が流れていくのを待つしかないのだ。

ちなみに扁桃体というのは、感情を司る脳の部位である。

私の極度の恋愛感情も扁桃体のバグだと思っている。

だから、無理して恋愛成就しようとも思わないし、

死に物狂いで感謝ノートに書きなぐって頑張って心を落ち着かせようとかも思わない。

ただただ、感情を観察して流していくだけ。





親に愛されて育った女性の幸せの形と、

親に愛されずに育った女性の幸せの形は、

違っていいと思う。

女は絶対に恋愛成就しなきゃ幸せになんかなれないとか、

そういう呪いは聞かなくてもいい。

親に愛されずに育った側の人間は、

相応の幸せの形があっていい。


私は引き寄せの法則が好きな方ではあるが、

引き寄せの法則の「感情が大事」「直感が大事」というのは、

人それぞれだと思っている。

私に限っていえば、感情や直感は扁桃体のバグなので、あてにしていない。

私の扁桃体は手に負えないからこそ、ライフハックが必要になってくる。




なんで世の中には、こんなにも幸福に対する強迫観念が数多くはびこっているのだろう。

恋愛成就しなきゃ幸せになれない

女の幸せは結婚と出産だ

などなど・・・




私は親に愛されずに育ったので、脳がブッ壊れるのは必然だったと思う。

それでも、私はブッ壊れた不完全な扁桃体を持ちながらも、

自分を愛していくという人類共通の課題を日々やっていく感じだな。




私は先祖供養がなかなかできなかった。

そもそも母方の祖母は、母を愛さなかった。

だから母も、私を愛さなかった。

負の連鎖だと思う。

母方の祖母の供養なんぞ・・・

墓参りなんぞ・・・

って思ってた。

でも、先祖っていう概念は、もっと広いものだ。

血縁だけが先祖ではない。

日本の歴史を形作った大伴氏や蘇我氏だって私の先祖といえば先祖であると思えばね、

先祖供養だってしたいと思えてくる。

金森宗和だって本阿弥光悦だって、一休宗純だって、

先祖と思えば先祖なのである。

もっと自分の存在を肯定しようと思えてくるではないか。

執筆者:山本和華子

ツイッター(@wakako_kyoto)もやっています。よかったらフォローしてね♪

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次
閉じる