ブッダは実際に何を説いていたのだろう? 初期・原始仏教、スッタニパータの解説

紀元前1500年頃、アーリア人はもともと住んでいたところから南下し、インド北西部へ移動しました。

さらに紀元前6世紀になると、16の大国が形成されました。

その時代に、シャカ族の王族の子としてブッダは生まれました。


ブッダが目覚めた(大悟成道、だいごじょうどう)のは、彼が35歳のときです。

彼は目覚めたあとも数週間の間、深い瞑想を行い、最初の一週間は菩提樹の下で坐禅したまま自分の悟りの内容を反芻し、それを喜び楽しんでいました。

しかしある日、梵天という世界の最高神が現れて、教えを説くことを勧められることにより、ブッダは世の人々に教えを説き示す決心をします。

最初に、五人の修行者に対しておこなった説法を「初転法輪(しょてんぼうりん)」と言います。

仏教のあまたある典籍の中でも、『スッタニパータ』と『ダンマパダ』はその成立が最古層に属していると言われています。

それでは、今回はスッタニパータの一部をご紹介したいと思います。

目次

サビヤの経

サビヤよ。自ら道を修めて完全な安らぎに達し、疑いを超え、あるとかないとかいうことを捨て、修行を完成させ、再び生まれることを滅した人、彼がビクなのである。

この世であらゆる過ちを離れ、地獄のような苦しみを乗り越えて前に向かう人、そのような人がそのような状態にあるからこそ、「努め励む人、勇気ある性質の人」と呼ばれる。

実にもろもろの束縛が断ち切られ、自己の内と外に執着の根源が断ち切られ、すべての執着の根源である束縛から自由になっている人が、そのような状態にあるからこそ、「生きることに長けた人」と呼ばれる。

肉体が滅びる前の経

未来にすがることなく、過去のことを嘆くこともない。

触れるもろもろのものごとを遠く離れて見る。

そして、もろもろの偏った見方に導かれることがない。

利得が欲しくて学ぶことはない。

そして、利得がなくても怒らない。

渇愛から離れて、美味を貪ることもない。

わたしは、もろもろの愛欲を望まない人

彼を「安らかである」と言います。

彼にはもろもろの束縛はみられない。

彼はすでに執着を超えたのです。

彼は、世間において、「自己の所有である」というものはない。

そして、ないことについて嘆かない。

また、もろもろのものごとに右往左往しない。

そのような彼こそ、「安らかである」と言われるのです。

迅速の経

ビクは、こころの内をこそ、鎮めなさい。

他者に安らぎを求めてはいけない。

こころの内が安らいでいる人にとって、

どうして、得られるものや捨てられるものがあるだろうか。

食べ物や飲み物や衣服など、

得たものを貯蔵すべきではない。

また、それらが得られなくても悩んではいけない。

遊行の経

ビクは、生存(再生)を超越し、真理を知り、さまざまな欲望に対する貪りを捨て去るべきであり、

そのような彼は、世の中をあまねく遊行するだろう。

ビクは、さまざまな中傷に背を向け、怒りや物惜しみを捨て去るべきであり、ものごとに対する満足や不満を捨てた。

そのような彼は、世の中をあまねく遊行するだろう。


もっと詳しく知りたい方は、コチラの本がオススメです。

『現代人の悩みをスパッと解決する、東洋の教え』という本を出版しました!

今ならキンドルアンリミテッドで無料で読むことが出来ます。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次
閉じる