東南アジアの建築の特徴 ~仏像・石窟・精舎・伽藍~

【仏像と石窟】

BC6~BC5世紀頃、釈迦族のコーサラ国でガウタマ・シッダールタが生まれました。

ブッダは、言葉の意味は文化や人によって変わるので、相手によって内容は変わる(対機説法)と考えました。

また、真理は言葉で伝えられないものであるから自分自身で感じることも重視(自灯明・法灯明)しました。

この時代を象徴する世界遺産に、ブッダガヤの大菩提寺などがあります。

ブッダガヤとは、釈迦が悟りを開いた場所です。ブッダガヤには4代目の菩提樹が枝を広げ、ブッダが悟りを開いた場所には金剛座が置かれています。

古代インドでは、インダス文明にせよバラモン教にせよ、神の像を祀るという習慣はありませんでした。

ガンダーラ地域では早くから都市国家が成立していました。

しかし、その後ペルシャのアケメネス朝、ギリシャのアレクサンドロス帝国やセレウコス朝といった大国の侵略を受けました。

したがって、ペルシャ・アラブ・ギリシャ・遊牧民族の文化がガンダーラ文化と混ざり合いました。

その結果、仏像をつくる文化が育まれました。

仏像は1~3世紀、クシャーナ朝に誕生したとされています。

クシャーナ朝は大乗仏教を保護したが、市民の人々はギリシャがもたらした神像をまねて仏像や仏画を生み出しました。

この頃の美術を、ガンダーラ美術マトゥーラ美術といいます。

ガンダーラとは、パキスタン北西部に存在した古代王国です。

また、クシャーナ朝は中国の漢と国境を接したことから、シルクロードを経由することで、大乗仏教が中国へ伝えられました。

この時代を象徴する世界遺産に、バーミヤンの石窟などがあります。

バーミヤンの石窟は、アフガニスタンの標高2800mほどの高地に位置しています。

【精舎と伽藍】

ブッダは悟りを開いた後、諸国で説法を行いましたが、地域の人々は説法を行うための、建物と庭のある精舎(しょうじゃ)を作った。それは、僧院ニヴィハーラの起源となりました。

「平家物語」の冒頭、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」の祇園精舎は、ブッダが説法を行った5つの精舎(天竺五精舎)の一つです。

その後石窟寺院が普及したが、グプタ朝の時代には、ストゥーパを伴うオープンな僧院が建設されるようになりました。

グプタ朝とは、古代北部インドにおいて、320年~550年頃まで栄えた王朝です。

この時代の、現在世界遺産となっている僧院として、ナーランダ僧院があります。

この僧院は世界初の全寮制大学で、古代世界で最も偉大な学問の中心地の一つであると考えられています。

ここで、有名な龍樹が講義を行ったと伝えられています。

8~12世紀、現在のバングラデシュの地で、パーラ朝が栄えました。

バラモン教では幾何学的な図形を描いて儀式を行いましたが、こうした図形はヒンドゥー教や仏教に伝えられていて、世界の在り方を示す「マンダラ」となり、伽藍配置にも影響を与えました。

パーラ朝ではソーマプラ僧院という建物が建てられました。

ソーマプラ僧院は正方形の伽藍の中央に、ストゥーパを中心とした四面堂式の本堂が座すマンダラ風伽藍です。

こうした幾何学的な伽藍配置は、とくに東南アジアの仏教寺院に大きな影響を与えました。

この時代を象徴する世界遺産に、インドネシアのボロブドゥール寺院やカンボジアのアンコールなどがあります。

執筆者:山本和華子

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