はいみなさんこんにちは。今日は、國分功一郎著『はじめてのスピノザ』を要約していきたいと思います。
スピノザは、17世紀のオランダに生きた哲学者です。
スピノザが生きていたヨーロッパの17世紀というのは、歴史上の大きな転換点でした。
デカルトが近代哲学を、ニュートンが近代科学を、そしてライプニッツが微分積分という数学の領域を打ち立てた時期です。
また、ロックやホッブズの社会契約説が登場したのもこの時期です。
さて。スピノザは『エチカ』という本を記しました。エチカとは、倫理学、という意味です。
エチカの語源はギリシャ語の「エートス」です。エートスとは元々、慣れ親しんだ場所や、動物の巣などを意味します。
そこから転じて、私たちがその場所に住むにあたって守るべきルールや価値基準を意味するようにもなりました。
『エチカ』には、自分がいまいる場所でどのように住み、どのように生きていくかという問いが含まれているのです。
【善悪について】
スピノザは、すべての個体は、それぞれに完全なのだと説きました。
また、自然界にはそれ自体として善いものとか、それ自体として悪いものは存在しない、とも解きました。
善悪というものは、物事の組み合わせによって決まるのだそうです。
たとえばトリカブトなんかは、それ自体はただ一つの完全で善悪も無い植物として自然界に存在しています。
しかし、そのトリカブトが人間の中に入ると、トリカブトは毒として作用してしまう。
【本質について】
「コナトゥス」という言葉は、スピノザの有名な概念です。
コナトゥスとは、個体をいまある状態に維持しようとして働く力のことを指します。
恒常性(ホメオスタシス)の原理に近いと言えます。
ところでスピノザは、物事の本質は「力」であると考えました。
どういうことかと言いますと、例えば家畜化された馬と野生のシマウマは、形はよく似ていますが、持っている力は異なります。
家畜化された馬は人を背中に乗せられますが、野生のシマウマは人を乗せることが出来ません。
本質とは形ではなく、それぞれの持っている力の性質のことである、ということなのです。
これは人間界にも言えることです。どのような性質の力を持った人が、どのよう環境や場所で生活すれば(環境とその人との組み合わせ)、その人の活動能力が高まるかを考えることが重要なのです。
このような考え方は、生態学(エソロジー)の考え方にもつながっていきます。
エソロジーは、生物がどのような環境でどのような行動を示しながら生きているのか、を研究する分野です。
【自由に生きるということ】
私たちの腕や脚には、可動域があります。その可動域という条件に従って腕や脚を動かせるとき、私たちは「自由に動かせている」と思えます。
スピノザの考える自由とは、自分に与えられている条件のもとで、自分の力をうまく発揮できること、という意味なのです。
また、私たち人間は自分の身体や精神の可動域を、最初から正確には理解していません。
人は、実験しながら、経験を重ねながら、自由を獲得していくのです。
もっと詳しく知りたい方は、コチラから本を購入できます。
ツイッター(@wakako_kyoto)もやっています。よかったらフォローしてね♪