パリ万博、アート、クラシック音楽、ワイン、印象派、都市開発の関係

はいみなさんこんにちは。

今日は、パリ万博を中心として、様々な領域との関係性について書いていこうと思います。

パリでは、19~20世紀までに合計6度の万国博覧会が開催されました。

1851年イギリスでロンドン万博が開催されたのですが、それは大成功を収めました。

それを見たフランスの当時の大統領、ナポレオン三世は強く感化されました。

19世紀のパリは、中世以来の無秩序な都市でした。

しかしナポレオン三世はそれを大改造すべく、大規模な都市計画を打ち出しました。

具体的には、広い直線の道路網整備、公園の整備、上下水道の整備などが行われました。

それにより、パリは近代都市に生まれ変わり、現在の美しいパリの景観ができあがったのでした。

イギリスに対し、対抗意識を燃やしていたナポレオン三世は、

イギリスには無いワインを通して、フランスを世界にアピールしようとしました。

そこで行われたのが、1855年に行われた「メドック格付け」でした。

メドック格付けとは、ワインの良し悪しを格付けしたものです。

そのメドック格付けは、世界からパリ万博に来る観光客用に作られた、

わかりやすい指標として打ち立てられたのでした。

1867年のパリ万博では日本が初めて正式に参加し、徳川幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出品しました。

その出品されたものの中に、浮世絵がありました。

浮世絵の独特な表現は、当時のフランスの画家たちに多大な影響を与え、ジャポニズムが一大ムーブメントとなりました。

浮世絵から刺激を受けた画家たちは、1874年、パリでモネ、ドガ、ルノワールらが、

第1回グループ展を開き、それが印象派の旗揚げとなりました。

1874年のグループ展に展示されたモネの有名な作品に、『印象・日の出』がありますね。

また、パリ万博で当時のクラシック作曲家、ドビュッシーがバリのガムランの音色を聴き、

非常に深いインスピレーションを得たことでも知られています。

以降、ドビュッシーは自身の作品に、ガムランの音楽を取り入れることとなりました。

この時代、ワイン、アート、音楽、都市開発など、様々な面でフランスは一大国家として大成長したのですね。

執筆者:山本和華子

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