親に愛されなかったからこそ、自分で自分を愛していく ~恋愛とお金と豊かさの関係の話~

私は、機能不全家族の、家父長制の強い、片親のもとで育ちました。

母は、家を継ぐ兄を溺愛。

家を継がない女である私は、愛されませんでした。

愛されない、というか、親にとって、私は可愛くなかったんやろうと思っています。

それで、このブログで再三書いていますが、

私は「医者の娘が親のスネで世界旅行に行った」という風の噂を聞いて、発狂します(笑)

まず、女が恋愛市場で戦っていくためには、留学や世界旅行などのキラキラな結果・経験が必要だと信じていました。

医者の娘は、努力もせずに、親のスネによっていくらでも自己価値にゲタを履くことができる。

医者の娘は、努力もせずに、親のスネによっていくらでも恋愛市場で優位に立つことができる。

私は嫉妬・妬み・そねみに狂い、20代のときにとうとう悪の道に手を染めてしまうことになります。

最近気付いたことなのですが、

人間の本質的な価値とは、目に見えるキラキラな結果や経験を貼り付けていくことではないんですよね。

人間の本質的な価値とは、いかに人さまに益を与え続けていくことが出来るか、

「利他」と「貢献」、「人となり」なのです。

「医者の娘が親のスネで世界旅行」というのは、その娘さんが単に運がよかったというよりもどちらかというと、

医師である親御さんがたくさんの人を救ってきた、その徳を娘さんが引き継いだと考える方がしっくりくるんですね。

残念ながら親の徳を引き継げなかった私は、自分で自分の徳をこれから積み上げていけばいいわけです。

要するに、私はその医者の娘に、「努力とは無関係のところで、無条件に愛(お金)を与えられている」ことに、

強烈に嫉妬したわけです。

ならば、自分で自分のことを、無条件に愛していけばいいわけです。

無条件に愛して、可愛いワンピースを着たり、執筆業に没入(好きなこと、得意なこと)したりすればいいわけです。

嫉妬や失敗、挫折はすべて、自分の人生における「問い」なのです。

時間は有限です。

その有限な時間を、「恋愛市場で戦って自分だけ勝利していくためにキラキラな目に見える結果を貼り付けていく」ことに使うのか、

それとも「他者に益を分け与えて自他共に豊かに発展していく」ために使うのか。

どちらを選ぶも自分次第です。




私は、親に対して愛してくれなかった恨みを長らくもっていました。

私は損した、親にいろんなチャンスを奪われたと思っていました。

しかし、親には何も期待しないほうがよいのです。

自分で自分を愛していければ、親に期待しなくていい。

好きな人がいる今がまず幸せだと感じられれば、

恋愛市場で勝利していくためにキラキラしていく必要はない。

また、安易に「答え」を出す必要もない。

好きな人との関係性を、今すぐに「恋愛関係」「結婚(夫婦関係)」もしくは「失恋(別れ)」という答えを急いで出さなくていい。

なんとなく知り合い?ぐらいの関係で、答えを出さない関係を続けても良い。

世の中に、どういう考えの「型」があるのか、知っていくことが必要ですね。

私は20代のころ、本当に欲深い人間でした。

今まで親から与えられなかった、損した人生を埋めていくために、価値を貼り付けていかなきゃいけない、

と長らく思っていました。

それで、20代の頃は、自分の彼氏のことを、ブランドバッグだと思っていました。

旧帝大生と付き合うことで、自分の価値が芋づる式に上がっていくと思っていました。

でもそんなバチ当たりな動機不純の関係なんか、長続きするはずがない。

当時は、旧帝大生を、とっかえひっかえにして付き合っては別れていました。

愛も何もないです。

自分の価値は自分で創っていくものです。

その価値とは、目に見えるキラキラな結果を貼り付けていくことではありません。

自分の価値とは、「人さまに与えていく」ことで創られていくのです。

自分を満たして、人さまに分け与えていくことで、結果、愛で満たされ、お金が回ってくるのです。




私はあまりにも親にぞんざいに扱われすぎて、極端に愛情とキラキラな経験につぎ込むお金に執着しすぎていました。

親は私のことが可愛くなかった。それは事実。

これからは、自分で自分を可愛がってあげたいし、

可愛がってあげられるように、日々可愛くオシャレしていこうと思います。

執筆者:山本和華子

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