レオナルド・ダ・ヴィンチ、孔子、釈迦たちの、「俺たちの本当にやりたいこと」と、後世、大衆に受け入れられた「俺たちの職人業」の乖離の話

はいみなさんこんにちは。

千利休は本業(商人)とやりたいこと(茶道)は分けていました。

レオナルド・ダ・ヴィンチも、職人業としての本業(依頼された絵を描く)とやりたいこと(真理の追究と発明)は分けていました。

それで、千利休もレオナルド・ダ・ヴィンチも、たまにやりたいことでちょぼちょぼ副収入があった。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、職人業としての「モナ・リザ」が圧倒的に有名になった。

レオナルド・ダ・ヴィンチが夢中になって、手記に真理の追究や発明を書き残したことは、あまり知られていない。

釈迦の本当にやりたかったことは、輪廻転生からの解脱だったのに、現在日本においてそれを知ってる人は少ない。

坊主の大きなキャッシュポイントとなる「葬式仏教」しか知らない。

孔子の本当にやりかったことは、政治家になることだった。それでたくさんの言葉を残した。

しかし、日本において孔子の教えといえば「年上を敬え」、政治的に利用しやすい言葉だけが圧倒的に有名になった。

ほんで、中国ではデカデカとした墓に祀られた。



要するに、孔子も釈迦も、「俺たちが一生涯追いかけたやりたいこと、大切にしてきた世界」が過去に葬られ、

孔子は政治的に利用できる言葉だけ敬われ、

釈迦はキャッシュポイントとして利用できる観念だけが大切にされてきた。

別に現在の宗教団体を批判したいとかでは全くない。

「俺たちの一番大切にしたかった哲学、真実」は、大衆の雲(クラウド)、一般常識とは別のところにある、ということが言いたい。

執筆者:山本和華子

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