二番煎じ芸人による希釈された万人受け疑似恋愛ビジネス
昨晩、二番煎じ芸人に対して、キレ散らかしていましたw
いやホント、なんか、本当にそんな人っておるんやね。
誰かの二番煎じによって作られる作品は、その場その場ではマネタイズできるとは思うけど、
その人の人生は何も社会に役立てていないし、感動も与えられていないよね。
なんか、二番煎じ芸人による希釈された万人受け疑似恋愛ビジネスって感じ。
何をもってして「一流」と呼べるのだろうか
私は作家として、どんな本を書きたいか、何を読者のみなさまに伝えたいか、
作家として活動し続ける生きざまを通して、どんなメタメッセージを届けられるかとか、
日々考えています。
作家だけでなくすべてのクリエイター、表現者、アーティストは、
何をもってして「一流」と呼べるのだろうと考えてました。
販売数?売上金額?SNSのフォロワー数?認知度?
顧客に求められているプロダクトを作ること?
長期にわたって社会に影響を与え続けられること?
伝説として語り継がれていくこと?
ファンの人生を変えてしまうこと?
クリエイター人生、アーティスト人生そのものを楽しめていること?
100均のお皿と備前焼のお皿
日本の焼き物に、備前焼がありますね。私も備前焼は好きです。
備前焼の魅力は、刺さる人には刺さるし、好きな人はホンマに好き。
でも、人類全員が備前焼を知っているわけではないし、
「お皿なんか100均でいい」という人も多いわけです。
しかし、安価なお皿が多く市場に出回っていたとしても、
備前焼の魅力や価値が分かる人がいる限り、備前焼はずっとこの世に残っていく。
最初から万人受けを狙わない作品を創る人
世の中には、フォロワー数の多さが影響を受けるプロダクト(価値)もあれば、
影響を受けないプロダクト(価値)もあります。
庵野秀明の『式日』という映画は、最初から万人受けされるように制作されたわけではありません。
でも、『式日』が好きな人はずっとその映画が好きで、刺さる人には刺さる。
私は、たまたま運が良かっただけなのかもしれないけれど、
本気で真摯に生きてるアーティストの生きざまに私の感性が震えたことは、本当に良かったなって思う。
それは、私がずっと、自分の人生に嘘をつかないで、ひたむきに生きてきたからこそ、
出会えたんじゃないかなと思っています。
コピペできるものとできないもの
私は、自分の本の価値が真に認められていくこと(結果)は、焦らないようにしています。
なんていうか私、作家業界において、欺瞞でゼニ稼ぎしている人とかすぐに分かっちゃうんですよね。
そういう人に、愛想笑いしながら上辺だけ仲良くしているフリとか、私できないわ。
出版業界だと余計に顕著だけど、知識や情報というのはすぐに真似できてしまう。
コピペなんて一瞬で出来てしまう。それは事実。
でも、その人の生きざまそのものは、誰にも奪われない。
私は、読者のみなさまの審美性に深く訴えかけていける本を書き続けたい。
私の言葉の真意に引っかかれない人は、最初から私の読者にしてない。
戦わなきゃいけない局面が出てくるときもある
日本社会では、事なかれ主義というか、波風立てないことがよしとされる風潮があります。
しかし、渋沢栄一が『論語と算盤』にも書いていましたが、
人は、どこかで戦わなきゃいけない局面が出てくるときもあるのです。
なんだろう、私もそのうちの一人かなとは思いますが、
そのアーティストのことが本当に大好きなファンはちゃんとわかってるから、
自信を持って自分の道を邁進していってほしいと思う。
一流のアーティストと二番煎じ芸人の明暗を分けるもの
一流のアーティストと二番煎じ芸人の明暗を分けることって、
自分の人生を楽しめているのか、自分の人生に誇りが持てるのか、
自分に自信を持って問いかけることができることなんじゃないかなと思う。
執筆者:山本和華子
