修験者の霊場、醍醐寺 ~京都観光シリーズ~

醍醐寺に行ってきました!

醍醐寺は、真言宗醍醐派総本山の寺院で、世界遺産に登録されています。

本尊は薬師如来です。

聖宝(しょうぼう)という人物が醍醐山上に草庵を結んだことから醍醐寺の歴史はスタートしました。

たくさん桜が咲いていました。

私はこのお寺に来てまず思ったのは、サンスクリット曼荼羅など、すごく密教らしいというか、原始の、という感じがしました。

この感覚は何が所以しているのだろうと思って調べると、醍醐寺は醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展したのだそうです。

修験者の霊場か~と少し納得しました。

また、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって、醍醐山麓の広大な平地に大伽藍を発展させたのだそうです。

その後、応仁の乱なので荒廃しましたが、豊臣秀吉による「醍醐の花見」をきっかけに、寺院建築の移築や三宝院の建設などにより回復を見せたそうです。

三宝院は醍醐寺の塔頭(寺院の子院のこと)なのですが、桐紋の宝庫みたいな感じなんですね。

それで、三宝院のスタッフさんに声をかけると、「醍醐寺は豊臣秀吉のゆかりの地であり、この桐紋は秀吉が由来しているのですよ」と教えてくださいました。

現在の三方院は桃山時代に創建されたもので、重要文化財に指定されています。

表書院は国宝で、書院造ながら寝殿造の様式も取り入れられています。

また、鬼瓦も可愛らしかったです。


庭園に亀さんが棲んでいらっしゃるのですが、なんだかもう蓬莱島みたいな感じでこれも可愛らしかったです。

庭園の中心に据えられている「藤戸石(ふじといし)」は、天下を治めた武将が次々と所持したことで知られています。

現在の醍醐寺には、建築物、彫刻、絵画、書跡、工芸など、約7万点が国宝・重要文化財に指定されています。

醍醐寺の本堂である金堂国宝で、平安時代後期の建築です。豊臣秀吉の意向を受け、和歌山県の満願寺(まんがんじ)本堂を移築したものと言われています。

京都府内で現存最古の木造建築物である五重塔国宝で、総高約38メートルです。

絵画には、俵屋宗達の代表作として知られる「舞楽図」(重要文化財)があります。

書跡では、弘法大使筆の「大日経開題(だいにちきょうかいだい)」が国宝に指定されています。

執筆者:山本和華子

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