はいみなさんこんにちは。
私は観光ガイドになることを諦めて、一般OLに就職しました。
夢を諦めることについて↓

私は今まで、着物レンタル店で働いたり、日本文化紹介インストラクターとして働いたりしてきました。
しかし、英語が話せなくて、つまり実力が伴わなくて、辞めました。
その後は観光ガイドになりたいと思い、スナックのホステスとして働きながら日々昼間は英語の勉強を続けていましたが、結局大手の観光会社に応募して落ちました。
私は結局、キラキラな肩書で自分を着飾りたかっただけでした。
これではインスタグラムのアカウントをバッキバキに着飾ることとなにも変わりませんね。
バッキバキにインスタアカウントを着飾っていたときの話↓

キラキラした肩書さえ身につけていれば、私は男性から愛されると信じていたし、
今もそう思っていることは事実です。
だからそう、一般OLとして就職したからには、観光ガイドというキラキラ花形役職名の夢を手放すことで、
それと同時に大好きだったチェリストに愛される夢物語、脳内お花畑も手放すわけですよ。
愛されない覚悟。
一人で生きていく覚悟。
そうですね・・・親に愛されなかったとか、最後の最後まで私の存在をあるがままに承認されることが果たされなかった心の澱はありますね。。。
毒親、親ガチャの話↓

まぁいいでしょう。
私は肩書で自分の価値を証明したかっただけ。
何者かにならないと愛されないと信じていたし、今でも信じてる。
現実そうじゃないんだろうなと、心のどこかで抱きながらも、
やっぱり「何者かにならないと愛されない宗教」を信じてしまっている。
長い間スナックのホステスとして働きながら、昼間は英語の勉強をして、
「かりそめの自分」「本当はもっと違う自分」「将来は観光ガイドになって男性に愛される自分」という空想に浸ることで、現実から逃げていました。
でも今は、一般OLとして働きながら、このWebサイトで好きなことを書いて、趣味で着物観光撮影会をして、チェロの音色にうっとりする人生ができればそれで万々歳なんじゃないかと。
白(観光ガイド)か黒(スナック)かじゃなくて、妥協ライン(一般OL)を決める。
これが私の実力なんだと認める。
チェリストに愛されなくたっていいじゃないか!
いや本当は愛されたいのだけれども!!!
自分が、何者でも無い自分をまず愛することからすべてが始まるんじゃないのか!!!
はい。
夢を諦めるとは何者かになることを諦めることで、
つまり、「肩書」という鎧の未練を手放すこと。
自分の価値を証明するためのキラキラな肩書は必要か?
そもそも、自分の価値を証明しなければならないのか?
自分の価値を社会的に証明しなくても、幸せになれる方法はいくらでもあるのではなかろうか。
執筆者:山本和華子
