はいみなさんこんにちは。
今日は、禅語についてご紹介していきたいと思います。
禅とは、禅宗の略称です。仏教の中で、座禅を中心的な修行とする宗派のことを表します。
インドから中国に渡り、仏教の普及に努めた菩提達磨(ぼだいだるま)が祖とされており、日本には鎌倉時代ごろに広まりました。
禅僧の言行などから生まれた言葉を禅語と言います。
日本の臨済宗の開祖である栄西が抹茶を日本に広めたこともあって、禅は茶道と関わりが深く、禅語は茶道のお茶会の際に、床の間の掛物に使用されます。
それではどんな禅語があるのは、一つひとつ見ていきましょう。
照顧脚下
「しょうこきゃっか」と読みます。「照顧」とは注意してよく見る事、「脚下」とは、足元のことです。
つまり、「足元に気を配りなさい」という意味になります。
この言葉を生き方に当てはめてみましょう。自分の立っている場所を確認し、しっかりと大地に立つ、という意味になります。
喫茶去
「きっさこ」と読みます。まずはお茶でもお召し上がりください、という意味です。
来客を歓迎し、いたわる言葉です。
行雲流水
「こううんりゅうすい」と読みます。禅宗では修行僧を雲水(うんすい)と呼びます。行く雲、流れる水のように、物事を自由自在に受け止める姿勢を表します。
また、一つのところに留まることなく、東へ西へと諸国を行脚し、優れた師を求めたことにも由来しています。
ここでいう師とは高僧のことではなく、自分以外みな師という意味となります。
日々出会う人々、ときには自然や生き物から学ぶこともあります。

一期一会
一生に一度の出会いであることを心得て、人と接するように教えたものです。
禅の立場では、その場そのときの縁の重みを忘れずに、誠意をもって専念することの大切さを説いています。
松樹千年翠
「しょうじゅせんねんのみどり」と読みます。松が常に変わらぬ緑をたたえているように、日々移り変わっていく私たちの生活の中にも、いつまでも変わらない真実がある、という意味です。
若い新芽が芽吹くとともに、老松葉はやがて枯れ落ちていきます。しかし、世代交代があっても、松はその松自体の個性を脈々と伝え、常に緑を保ち続けます。
柳緑花紅
「やなぎはみどりはなはくれない」と読みます。元々は中国の詩から来た言葉です。中国の宋の時代の詩人、蘇軾(そしょく)は、目前に広がる春の美しい風景に感激し、「柳は緑、花は紅」と詠いました。ただそれだけの当たり前の姿に、真実があるということを伝えたかったのでしょう。
綺麗なものは綺麗だと感じられる素直な気持ちを、いつも持っていたいものですね。
執筆者:山本和華子
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