天龍寺
天龍寺は、臨済宗天龍寺派の大本山です。
本尊は釈迦如来、創立者は足利尊氏、開山は夢窓疎石です。
高い格式を誇り、京都五山の第一位とされており、現在では世界遺産に登録されています。
天龍寺の起こりは、後醍醐天皇の菩提を弔うために、足利尊氏が亀山殿にお寺を建てたのが始まりなのだそうです。
夢窓疎石は、鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけて活躍した、臨済宗の禅僧・庭師です。
夢窓疎石の庭は素晴らしい。
あまりにも庭が美しいので、京都の映画人に昔から愛されていたそうです。
天龍寺は、その建設資金調達のため、天龍寺船という貿易船が作られたそうです。
その貿易船で中国の龍泉窯(りゅうせんよう)から輸入した青磁焼というやきものを、特に「天龍寺青磁」と言います。
桂離宮
桂離宮は、17世紀に皇族の八条宮の別邸として創建されたものです。
江戸時代初期の庭園と建築物を遺しており、当時の朝廷文化を今に伝えています。
庭園は最古の回遊式庭園として知られ、日本庭園の傑作とされています。
ブルーノ・タウトやヴァルター・グロピウスといった外国の建築家も、
桂離宮を高く評価したそうです。
通圓
通圓(つうえん)は、宇治にあるお茶屋さんです。
通圓は、狂言の演目にも出てきます。
創業は平安時代末の永暦元年(西暦1160年)にさかのぼります。
代々、通円の姓を名乗って宇治橋の橋守(守護職)を全うし、
道往く人々に茶を差し上げて、橋の長久祈願と旅人の無病息災を願ってきたそうです。
大徳寺
大徳寺は、一休宗純や、沢庵という禅僧とゆかりのあるお寺です。
大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山です。
大燈国師(だいとうこくし、別名・宗峰妙超)という人物が、小庵を建立して「大徳」と名付けました。それが大徳寺の由来です。
大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は名僧を多く輩出したそうです。
侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休宗純に参禅して以来、
大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深くなり、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもつようになったそうです。
ヨーロッパでいうところの、サロンのような役割を果たしていたのでしょうね。
大徳寺のほとんどの塔頭(たっちゅう、寺院の中にある子院のこと)には、茶室があります。
大徳寺には、国宝や重要文化財に指定されている絵画や墨跡(ぼくせき、禅宗の僧が書いた書道作品のこと)が数多くあります。
青蓮院
青蓮院は、天台宗の寺院です。粟田(あわた)御所とも言います。
平安時代初期の比叡山の青蓮房が始まりと言われています。
境内全体が国の史跡に指定されています。
青蓮院は、三千院、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院なのだそうです。
不動明王二童子画像(ふどうおうみょうにどうじがぞう)は、国宝で、通称「青不動」といいます。
実際青不動の掛け軸を観てきたのですが、なんとも妖艶な青い炎でした。
また、庭園は相阿弥作と伝えられています。
書院の北東部側には小堀遠州作の「霧島の庭」があります。
お茶室である好文亭(こうぶんてい)の周囲には、豊臣秀吉寄進の神輿型燈篭(とうろう)・蓮華寺型燈篭が配されています。
青蓮院の大樹や土には苔が生えていて、そこに桜の花びらが散っており、とても幽玄でした。
ライトアップの時にはお抹茶もいただけて、とても美味しかったです。
伏見城
伏見城は三度に渡って築城されました。
最初の城は、1592年に、豊臣秀吉がが隠居後の住まいとするために建てられました。
秀吉の死後、代わって徳川家康がこの城に入り政務を行いました。
関ヶ原の戦いの際には、家康の家臣である鳥居元忠らが
伏見城を守っていましたが落城してしまいました。
元忠は、この戦が負けるとわかっていました。
しかしそれでも、家康を守るために、戦いました。
ちなみに鳥居元忠の墓は、百万遍知恩寺にあります。
高台寺
ねねの道を歩いていくと、高台寺が見えてきます。
高台寺は、臨済宗のお寺です。
豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が、秀吉の冥福を祈るため建立されました。
霊屋(おたまや)には蒔絵が用いられ、北政所所持と伝えられる蒔絵調度類(ちょうどるい)を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称があります。
蒔絵とは、漆工芸技法の一つで、漆器の表面に漆で絵や文様、文字などを描き、それが乾かないうちに金や銀などの金属粉をまくことで器面に定着させる技法です。
蒔絵の技法は、舞妓さんのかんざしにもよく使われていますね。
高台寺には臥龍廊(がりょうろう)という、屋根付きの階段があります。
その名は、龍の背に似ているところから付けられたそうです。
庭園は、小堀遠州によるもの。しだれ桜と萩の名所です。
執筆者:山本和華子
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