はいみなさんこんにちは。今日は、全国津々浦々の建築デザインの特徴についてみていきましょう。
出雲大社
出雲大社は、島根県にある神社です。
本殿は国宝です。
本殿は、現在でも24メートルもあり、破格のスケールですが、古代・中世の本殿は48メートルもあったと伝えられています。
当時の建物はどんなプロポーションだったのでしょうか。床が非常に高く、柱が異様に長い姿だったと考えられています。
普通なら横方向の材料を入れて補強する必要がありますが、古代の出雲大社にはそれがなかったそうです。つまり、水平材は使っていなかった。揺れても構わないと考えていたことがうかがえます。
伊勢神宮
伊勢神宮には、天照大神を祀る内宮と、農業を司る豊受大御神(おおみかみ)を祀る外宮が鎮座しています。
西欧でもかつては建築に植物性の素材を用いていました。しかし、永遠性を求め始めた頃から、素材が木や草から、石やレンガに置き換わりました。
では、木や草を使い続けた日本には、永遠性の概念は無かったのでしょうか。そんなことはありません。日本人は、建物は借り物でいいと思っていました。重要なのは建物自体ではなく、スピリットの継続性の方でした。
ここで、出雲大社と伊勢神宮の造りの違いを見ていきましょう。
出雲大社は妻入という造りでできています。こちらの方が、伊勢神宮の造りより古いと考えられています。真ん中は棟持(むなもち)柱が立っているので、入り口を右か左かにずらさなくてはなりません。この非対称性が、日本文化の特徴の一つと言えます。
伊勢神宮は平入という造りでできています。これは、中国式の美学の反映と言えます。利点は、柱の数を自由に決められることです。柱の間、スパンを奇数にして真ん中を入り口にしてしまえば、対称的なデザインになります。
唐招提寺金堂
南都六宗の一つである律宗の総本山・唐招提寺は、鑑真が開きました。
唐招提寺の特徴は、列柱(コロネード)にあります。建物前面に、8本の柱が一列に連なっています。これは、中国式のオーソドックスなものといえるでしょう。
古代ギリシャや古代中国は、一つの形式を、もう、一歩も変えられないところまで練り上げていった歴史があります。唐招提寺金堂はそのライン上にあります。
しかし日本の建築は、いかに形を崩し、軽くし、堅さを取り払うかを追求していきました。
それを、和様化と言います。
円覚寺舎利殿
1282年に北条時宗が創建しました。舎利殿は国宝です。
舎利殿は室町時代初期の建造です。宗から輸入された、いわゆる禅宗様を代表する遺構とされています。
日本建築の中にも、この頃ようやく上昇感のあるプロポーションへの志向が芽生えてきました。
内部空間もまた、垂直性を強調したデザインとなっています。
法隆寺
飛鳥時代の建築様式です。
1993年に、日本最初の世界文化遺産として登録されました。
法隆寺はヒノキを使っているから風合いが柔らかいです。
一方、中国の古い木造建築は松で造られているため、乾燥するとヒビが深く入ります。日本では松は建築素材としてめったに使わないそうです。
日本において、お寺や神社にヒノキを使うのは、強くて粘りがあるからだと言われています。
待庵
草庵茶室の先駆けで、千利休作と伝わっています。国宝です。
日本の家屋では必ず襖の上に長押(なげし)を通すのが基本となっていますが、待庵は、全部がガタガタの構成にされており、高さの目安となるものを消しています。
また日本の家屋では、柱が全部見えるように造ることが大原則となっています。
しかし待庵は、完全に見える柱、一部だけが見える柱、完全に見えない柱が混在しています。
かつて、畳に座ることができたのは天皇だけでした。その畳を切る、要するに「炉を切る」というのは、当時としては革命でした。
角屋
江戸期のもてなし文化の場として、民家に書院造や数寄屋造を取り入れた、揚屋建築唯一の遺構です。
角屋は、江戸時代当時の京都の職人芸の粋を結集しています。
当時角屋は、太夫が来て、文化的サロンのような形だったそうです。
また、外観は格子が連なる普通の町屋なのに、内装は、西陣織や友禅染などの布の美学で造られています。
執筆者:山本和華子
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